STORY 02

「被災者の心に寄り添うために」
知られざる支援活動。

状況に合わせて、支援活動を展開

震災直後の物資運搬をはじめ、ベガルタ仙台では慰問活動や瓦礫の撤去作業、サッカー教室、健康体操教室など、さまざまな支援活動を展開してきた。毎年、新シーズンへ向けてチームが始動する際には選手、スタッフが被災地を訪れ、黙祷を行っている。これまで貝田さんは平瀬さんと被災地や避難所を訪れる中で、その都度、必要な支援を考えてきたという。「被災地や皆さんの状況に合わせて、支援の形を変えるように心掛けていました。例えば、5月頃になって支援物資が行き届くようになってからは、子どもたちが物をもらうことが当たり前になりつつあると感じ、一人ひとりに何かを渡すのではなく、皆で遊べてコミュニケーションが取れるようなものを渡すようにするといった具合です。また、少し期間が経ってからは地域と連絡を取り合ってサッカー教室を開催したりしましたね」
その際に地域の方々と繋がりを深めたことは「現在でもクラブの大きな財産になっている」と貝田さん。「あの辛い状況の中で助け合ったことで、強い絆が生まれました。今でも何かある時には、連絡を取り合っています」
また、さらに地域との絆を深めるために、クラブ創設25周年の2019年には「KIZUNA未来プロジェクト」をスタート。その中の大きな取り組みの一つとして、継続的な支援活動を約束している他、今後も地域の魅力を活かした企画を計画中だ。

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被災地に何度も足を運び、復旧・復興へ向けて活動を行う選手たち
ⒸVEGALTA SENDAI

支援活動の本質的な意味とは

ベガルタ仙台が行ってきた支援活動の中には、メディアに記録が残っていないものも多い。それは当時の「支援活動を大きくPRしない」というクラブのスタンスによるものだった。貝田さんは「もちろんメディアの方を入れて、支援活動をPRすることも大事だと思いますが、当時の私たちはあえてPRすることは控えました」と振り返り、その真意を平瀬さんが説いた。「我々が支援活動をする本質的な意味って何だろうということを、皆で再確認しました。そして、やはり困っている人たちの支えになりたいという気持ちが第一だったので、PRするよりも被災された方の心にしっかり寄り添うことに力を注ぎました」
支援活動の中で印象に残っていることを伺うと、平瀬さんは「いっぱいあるからなあ」と悩みつつ、山元町で被災した家屋の泥かきをした時のことを説明してくれた。「床下をほふく前進のように這いつくばって進み、断熱材をカッターで剥がすのですが、断熱材を切る度に泥を含んだ海水がビシャーッと顔にかかって大変だったのを覚えています」

また、時には何日間も朝から晩まで大量の支援物資を二人でトラックへ積み込み、運搬、配布したことも。「あれはめちゃくちゃハードなトレーニングみたいでしたね」と貝田さんは苦笑する。インタビューの途中、貝田さんが平瀬さんの被災地への想いを物語る1枚の写真を見せてくれた(下記写真参考)。そこには公園の芝生で、子どもたちとサッカーをする平瀬さんの姿が。「支援活動で東松島市を訪れて、コンビニで昼休みを取っていました。その時、お母さんと二人の子どもが公園のベンチにいることに気付いた平瀬さんが『サッカーやろうよ』と声を掛けて、一緒に遊び始めたんです。子どもたちも汗をかきながら楽しそうに走り回っていて、それを見た時に『心に寄り添うというのは、こういうことなんだ』と実感して、思わず写真を撮りました」

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平瀬さんの被災地への想いを物語る一枚。「いつの間にか子どもたちが夢中になっていました」と貝田さん
ⒸVEGALTA SENDAI

震災を風化させず、被災地と歩み続ける

現在もサッカー教室や健康体操教室などのため、平瀬さんは県内の被災地を回っている。「震災直後に見た、気仙沼の高台に船が乗り上がっている様子などは忘れられません。あれから比べれば、だいぶ復興しているようには見えますが、県内外でまだまだ苦しんでいる人も多いと思うので、絶対に風化させてはいけません」
東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーのランナーにも選ばれている平瀬さんは、こういった自身の姿を発信することにより「震災を風化させず、これからも復興の道のりに寄り添う」というメッセージを伝えたいと考えている。現在、クラブの中には震災を経験していない選手、スタッフも増えてきたが、被災地への訪問などによって想いは共有できていると貝田さん。「今年も名取の閖上地区を選手、スタッフで訪れました。こういった活動を重ねることで仙台をホームタウンとするチームであることの使命を、理屈をこえて体感できますし、新シーズンへ向けて一体感が生まれていると思います」

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毎年シーズン始動前に、選手、スタッフで被災地を訪れている
ⒸVEGALTA SENDAI
STORY 03

運命のような巡り合わせの今季。
市民を元気付ける活躍を。

アンバサダー、コーディネーターに就任して約10年

震災が発生してから10年となる新シーズン。平瀬さんも、アンバサダー、クラブコーディネーターに就任してから10年となる。スタジアム内での撮影中には、クラブスタッフに「このコンコース、もっとこうした方がいいんじゃない?」と提案する場面も見られた。貝田さんは「多くの選択肢がある中で、こうして10年間、どこにも行かずに活動し続けてくれていることに感謝しています」と話し、平瀬さんは「私が(手倉森)誠さんに声をかけてもらってベガルタ仙台に入団し、それからアンバサダーとして活動し始めて10年。そして震災から10年となるシーズンに、また(手倉森)誠さんが監督に復帰するということは、個人的には運命だと思っています」と胸の内を明かした。そんな平瀬さんが、選手時代を含めて12年間、仙台で過ごし、地域とのふれあいを通して感じたスポーツが持つ力とは。
「勝敗の結果に関わらず、一つにまとまれることではないでしょうか。スポーツは、多くの人の心を動かすことができます。昨年は不甲斐ないシーズンとなってしまい、厳しい言葉もいただきましたが、それもクラブに関心があり、期待してくれているからこそだと捉えています。今季は素晴らしいシーズンになるように、縁の下からサポートしていきたいですね」
8年ぶりにベガルタ仙台で指揮を執る手倉森監督は、就任発表後から繰り返し「再び被災地の希望の光になる」と述べ、その意気込みをクラブ内外へ発信している。震災から約10年となった3月6日には、ユアテックスタジアム仙台で試合が行われた。相手は10年前、震災後にリーグ再開戦を戦った川崎フロンターレという巡り合わせだった。

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「自然、食べ物、人の温もりなど、この地域の魅力を発信していきたい」と平瀬さん
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2月からマイナビ仙台レディース(株式会社マイナビフットボールクラブ)に勤務している貝田さんは「上を目指してスタッフも歯を食いしばって頑張ってほしい」と期待を寄せる

たくさんの人々を元気付けるクラブへ

今シーズンのJ1では、昨シーズンにコロナ渦の影響でJ2への降格がなかったことから、これまでより2チーム多い4チームが自動的に降格することになる。昨シーズン、18チーム中、17位で終えたベガルタ仙台としては「現実的な目標はJ1に残留すること」と平瀬さん。「(手倉森)誠さんは時間をかけて、チーム作りを行うので今年は戦術の土台を築きながら、残留という結果を残すためのサッカーに徹することになると思います。ただ、関口選手のように震災を経験して胸に期するものがある選手もいますし、いい補強ができているので今年は期待できると思います。また(手倉森)誠さんが帰ってきて、一体感を持って、全力で戦えるチームになるはずです」
最後にベガルタ仙台がこれから仙台市民や地域にとって、どのような存在になりたいかを伺った。まず、貝田さんが口を開いた。「昨年のチーム状況やコロナ渦など、こういう苦しい時だからこそ、地域密着型のクラブとして、地域に寄り添った活動が必要です。そして、皆さんにとって、より身近なクラブになって欲しいですね」
そして、平瀬さんが語った。「試合や活動を見ている皆さんに元気を与えられるように、これからも明るく楽しい魅力あるクラブを目指します」

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これまでの活動について、数多くのエピソードを紹介してくれた2人。今後も多彩な取り組みを通して、地域とクラブの絆を深めていく