食と観光による地域の復興。
キーワードは「ワインの復活」だった。
震災で途絶えたワイン産業の復興へ
毛利さんが参加した会議の中で、1つ気になる情報があった。被災した農家や漁師の人から聞いたもので、「宮城県にはワイナリーが1軒だけ山元町にあった。そこは津波で流されて、社長さんも亡くなって、ワイン産業が途絶えてしまった」という話だ。毛利さんは、復興計画の提案をしている段階で、「食と観光による地域の復興」という大まかなテーマを持ち始めていたが、「途絶えてしまったワイナリーの復活」というキーワードを組み合わせた時に、希望が持てる計画になるのではと感じた。
さらに毛利さんは情報を仕入れた。国内では2010年ごろからワインの出荷量が増えつつあったこと。欧州のワイン名醸地と言われる地域は、その地域の食文化と結びついて観光資源となっていて世界中から来訪者があること。また、牡蠣などの生産者が風評被害でいったん漁をやめたが再開しても販路が見つからないという課題があり、そうした生産者を応援する道も探れるのではないか、など計画の実現性を補強する要素を見つけることができた。
行政への提案としては採用されなかったが、途絶えてしまったワイン産業を復活させることの意義を強く感じていた毛利さんは、この計画の将来性を確信していた。「ワイン産業を復活させ、牡蠣など地元の食材の生産者の人たちや飲食店の人たちとつながって、新しい観光資源としてワイン産業をつくりなおしていくことができれば、必ず地域の復興の応援ができる、と思いました。『僕ら民間でこの計画を進めよう、やろうと思った人が始めればいい』と」
観光地秋保でワインづくりを目指す
まずはぶどうを植えることから始めたが、最初は困難を極めた。「2013年春に、もともとワイナリーがあった沿岸部近辺でやろうとして、ぶどうを試験的に植えてみたんです。しかし塩害対策不足や栽培技術不足でぶどうの生育ができませんでした。継続的な農地の確保も難しく、僕も震災後の調査業務を行いながら休日に沿岸部の畑に行って、ぶどうの世話をすることがなかなかできなくて、うまくいきませんでした」
沿岸部はあきらめ、仙台近郊で、日あたり・水はけ・風通しのいい、ぶどう栽培の適地を探したところ、秋保地区で好適な土地に巡り合うことができた。「自分自身が頻繁に通うことができるのと、観光地であり県外の多くの観光客に地域の新しい食のPRが可能と思われることから、この地に決めました」
土地は探すことができたが、問題はワインづくりだ。毛利さんは、ワイン生産量が多い山梨、長野、北海道に次いで全国4位の山形県のワインづくりに学ぼうと考えた。ぶどうの木は、山形にある苗木屋さんに行って「ワインづくりを復活させたいんです」と事情を話したら、「頑張ってやってみろ、苗木は見繕って送るから」と無料で提供してくれたという。この苗木で、毛利さんはさっそく秋保の地に植樹を始めた。
ワインづくりは、ワイナリーに修行に行った。「古い歴史のある山形のワイナリーに勉強に行かせていただきました。醸造時期には住み込みで泊めていただいて、ほんとうにお世話になりました」
また山形県では当時、各ワイナリーの若手醸造技術者の育成を目的として勉強会を開いており、その勉強会に、あるワイナリーの当主の助力を得て参加することができたのだという。「勉強会に参加できたのは、ほんとうに感謝しています。山形県でいろいろ学ばせてもらったことは、今でも僕の原点になっています」
毛利さんは、山形県のワイナリーの指導を受けながら、2014年に秋保でのワイナリー建設に着手し、2015年に仙台秋保醸造所「秋保ワイナリー」を開設した。
ぶどうは2014年に植樹を開始。「2016年の初収穫ぶどうで仕込んだワインはまだ若いぶどうの未熟さがワインにも残っていました」と毛利さん |
生産者が語るストーリーを伝えたい
「最初はワイナリーの立ち上げで精一杯でしたが、僕の目標はそこではなく、ワインをきっかけとした新しい食の提案をして、地域復興のお役に立つことでした」
毛利さんが取り組んだのは、定期的にワイン会を開くことだった。調理施設のない醸造所で開催する時はシェフがケータリングで料理し、それ以外は外部のレストランで開催した。「ワイン会の特徴は、料理をつくったシェフと食材を提供した生産者にその場に来てもらうことです。漁師さん、野菜農家、鹿猟師の人などです」
毛利さんは以前から復興への志の強い生産者の知り合いが多く、その人たちがどんなことを感じているのか知っていたので、「食材の提供だけではなく、ぜひお客さまの前で話を聞かせてほしい」と頼んだ。「話なんか下手くそだけど、いいの」と言いつつも、生産者の方たちは、いろいろな話を聞かせてくれるようになった。
「しばらく続けていると、お客さまの中で涙を浮かべてお食事している人がいたんですよ。何回かそういう光景を見ていて、それって悲しいのではなくて、たぶん感激していたり、感謝の気持ちだったりなのだろうなと思いました。震災直後、食材を持って被災地の炊き出しに駆けつけた料理人もいたんです。温かい炊き出しを食べた人が『いまは何もお礼ができないけど、いつかお礼したい』と言って、1、2年後に自分のところで採れた魚や野菜を持って料理人と再会した。そんな話もありましたね」
生産者や料理人の、いわば復興や地域の語り部の話によって、ワイン会が「格別な場」となっている。「そういう経験をしながら、この素敵なストーリーを、ワイン会に来ていた十数人としか共有できないのは勿体ないなと、これはいろいろな人に知ってもらいたいなと思いました。生産者や料理人に会ってみたい、という人にもぜひ来てほしいなと思ったんです」
ワイナリーとシェフ、そして生産者をつないで、そこにお客様に入ってもらう。そういう心豊かなつながりの中で、食を楽しんでもらうという考え方が見えてきた。「漠然としていた食の応援について、この人たちのストーリーを伝えよう、それが一番だなと思ったんです」
毛利さんは、2016年ごろからこのような考え方で活動を展開してきた。
テロワージュというテーマから広がる、
新しいつながりのある東北の姿。
気候・風土とその地域の人の営み
毛利さんは、ワイン会を続けてきて得られた活動についての考え方を「テロワージュ」と名付けた。
「テロワールという、僕が大好きなフランス語の言葉があります。気候・風土とその地域の人の営みをひっくるめた意味合いなんです」
ワイン用語としても、ワイナリーの特徴を表すときによく使われる言葉なので、業界やワイン通の人などは馴染み深いのではと、毛利さんは話す。「もう1つ、結婚という意味のマリアージュは、食の業界ではお酒と料理のペアリングのことを言うんですけど、このテロワールとマリアージュを掛け合わせて、テロワージュという僕らの基本テーマとしてまとめたものです」
2018年ごろからテロワージュと名付けたイベントを開催し、また「テロワージュ東北」というプロジェクトを立ち上げた。毛利さんが発起人となり、事務局として仙台秋保醸造所や酒蔵など数社が参加しているが、今後は法人化を計画しているという。
「僕らが着目しているのは、とにかく食と風土と人の物語を伝え、新しいツーリズムとして広めましょうということなんです」
地域のストーリーを集めて、大きな東北へ
「僕らの活動とその趣旨をご理解いただくようになって、いろいろな地域でテロワージュに取り組んでみたいというところも出てきました」と毛利さんは話す。
仙台市は、2019年度より国内外の観光客の東北地方全体への誘客と周遊促進を目的として、東北の美酒と食に着目した新たな観光プログラムの取り組みを始めている。「そのプログラムの作成に、僕らが連携させてもらって、例えば秋保におけるテロワージュのツーリズムを提供したりということを進めています」
一方、東北の食と食文化を海外へ広め販路を開拓する「東北グローバルチャレンジ」にも参加したという。「被災3県の食を海外に輸出しようという企画で、外資系金融企業のサポートでフランスに行ったんですよ。僕らは福島の農家3軒と一緒にテロワージュ東北というコンセプトをそのままパリに持っていって食事会を行いました。ワインと日本酒も持っていって、僕らがペアリングを考えて料理したんです。蔵元と生産者が自分たちの思いを伝えて、来場されたフランス人のお客さまに食べていただいて、ものすごく評判がよかった。共感していただきました」
その時の現地のインポーターが2020年の2月に来日して秋保を訪れ、ワインのブランドを指定して、9月からフランスに輸出する予定だったという。「新しい交流が始まると期待していたのですが、コロナ禍により中断してしまい残念でした」
2020年、国税庁による「酒蔵ツーリズム推進事業」の事業者募集があって、毛利さんは18社でチームをつくって応募した。全国122件の応募のうち16件が採択され、毛利さんたちのチームも見事採択された。「同じテロワージュ東北というテーマですが、今回は従来より充実した事業予算がついたので活動に厚みと広がりを出すことができます。複数の酒蔵と連携しなければいけませんが、まずは僕ら事務局が中心になって仙台空港から名取、秋保、作並を回って仙台駅前に至るルート設定をして、いずれは東北6県にゴールデンルートをつくって大きなツーリズムに展開したいと思っています」
7年目となる2020年は木も成熟して、ようやく納得のいくぶどうが採れるようになったという。適切な枝の剪定は、次の収穫期に凝縮した健全なぶどうが育つよう、1月頃に行う大切な作業だ
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震災から学んだ大切な気持ち「みんなで一緒にやろう」
毛利さんは、「震災復興でわれわれは何を学ぶことができたのか」と今でも考えている。「設計会社で働いていた時から、自分なりにいろいろもがいて取り組んできたけれども、われわれの次の世代とかその次の世代に、『皆さん震災で何を学んだんですか?』って聞かれたとき、なんて答えたらいいんだろうと、自問自答するんですよ」
1つ言えることは、おそらく「みんなで一緒にやろうよ」という気持ちが強くなったことではないか、と毛利さんは話す。「山形の苗木を分けてもらって始まった。行政区分を越えて支援してくれた。みんなでやっていこうよ、という気持ちがほんとうにありがたかったので、今僕らも、ここのワイナリーが1軒だけでやってもダメで、もっとワイナリーも増えてもらって、そして県も越えて、いろいろなところとつながっていかなければと思っているんです」
もちろん秋保ワイナリーで良いぶどうを育てて、美味しいワインをつくることが大前提ではあるが、それにも増して毛利さんは、担い手の育成や東北の新しいツーリズムの創成に目を向けている。「食と風土と人の物語を伝える。それがワイナリーを立ち上げた最大の理由です。いま県内のワイナリーは、2019年は4軒、2020年は6軒まで増えてきましたし、ここに研修に来ている人たちもいるので、もしかするとあと数年のうちに10軒ぐらいになる可能性があります」
毛利さんが始めた頃、宮城県にワイナリーは無かったが、2019年は4軒となり、ワイナリー数は全国18位だった。ワイナリーが10軒を超えてくると順位もグンと上がるだろうから、今から楽しみだと語る。
「設計の仕事は今はしていませんけど、これからワイナリーをやりたいという人たちの相談に乗ったり、図面的にこうしたほうが良いのではとアドバイスはできると思うので、そこでお役に立って、一緒に喜びたいですね」
毛利さんが胸の中に温め育ててきたテロワージュというテーマは、言い換えれば、「みんなで一緒にやろう」という気持ちを大切に、いろいろな違いを超えて、より広く、より深いつながりを実現していこうということだ。毛利さんはその先に、東北の新しいツーリズムを思い描いている。「東北はひとつ。これは震災復興を乗り越えたからこそ、そして震災復興からの学びとして生まれたテーマだと思います。実際、外国から見たときに東北は間違いなくひとつです。外国の方が日本に1週間来るんだったら、東北を1週間かけて周ってほしいなというのが、僕の夢ですね」
いつかワインを基本とした食と風土と人の物語が、東北のあちらこちらに力強く生まれ育つように、毛利さんはみんなと一緒に動き続けていく。
設計の仕事をしている時も施主が喜んでくれるのがいちばんうれしかった。お客さんと一緒に喜びたいという気持ちは今の仕事でも同じだ、と毛利さんは話す
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