キーパーソンインタビュー

バスケットボールの力を通じ、
震災の記憶を伝え続ける。
仙台89ERS 代表取締役社長 志村 雄彦 さん

震災後、被災した人々を勇気づけてきたものの一つがスポーツだ。2005年のチーム創設以来、仙台市を本拠地として活動するプロバスケットボール球団「仙台89ERS」は、一時チーム解散という事態に陥りながらも、気持ちがこもったプレーの数々や精力的な支援活動で人々の支えとなってきた。震災発生時は選手として、現在は代表取締役社長として活動する「ミスターナイナーズ」と呼ばれた志村雄彦さんは、今では震災当時からチームに在籍している唯一の存在に。バスケットボールを通じて、あの日の記憶を未来へつなぐ活動に尽力している。

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「ミスターナイナーズ」志村さんが、
地元仙台で活動する使命。

新潟の試合へ向かう道中、東北自動車道の菅生SAに停車していたチームのバスを激しい揺れが襲った。「ガソリンスタンドの看板が倒れそうなほど揺れていたのを覚えています。大きな地震だと感じましたが、その数日前にも地震があったので、それと連続したものかなと思いました」と震災発生時のことを振り返るのは、当時は選手として活躍し、現在は球団を運営する株式会社仙台89ERSの代表取締役社長を務める志村さんだ。宮城県内では地震によって電気が止まり、情報も遮断され、震度や具体的な被害状況を把握できなかったが、チームはひとまず新潟方面へ向かった。バスのモニターには仙台空港に津波が押し寄せる映像が流されていた。「ニュースで次々に発表される情報や、窓から見える電柱が倒れている光景から、車内では『とんでもないことが起きている』と騒然となっていました。皆、一様に携帯電話を手にしていましたが連絡が取れず、私も家族の安否が分からない中で、仙台から離れていくことに不安が募りました」

その後、試合の中止が決まり、翌日チームは一般道で山形を経由して帰仙。志村さんは自身が生まれ育ったまちの被害を目の当たりにして大きなショックを受けた。「練習も試合も、バスケのことはとても考えられる状況ではなかったですね。まず、どう生活していくかということで頭が一杯でした。当時の球団代表だった中村さんには『今後、チームがどうなるかわからない。連絡を待っていてください』といわれました」
数日後、志村さんたちに伝えられたのは、チームの「一時解散」という決断だった。

チームが一時解散。志村さんは沖縄へ

「すぐにバスケができる状況でないことはわかっていましたが、解散といわれてもその意味が理解できませんでした。その時は、今後またこのまちでプレーできるイメージすら湧かなかったというのが本音でした」
球団の運営が先行き不透明な状況となり、仙台89ERSではヘッドコーチや一部の選手に契約解除を通告。そして、残りの選手はリーグの特別措置により、一時的に他のチームでプレーできるレンタル移籍が可能になり、多くの選手が全国各地のチームへ移っていった。志村さんも沖縄を本拠地とする「琉球ゴールデンキングス」に約2カ月間在籍。チームの一員として奮闘し、リーグ準優勝に貢献した。「仙台から遠い沖縄でしたが、契約解除となってしまった選手や被災した人々のためにという気持ちを持っていたので、背番号は89を付けてプレーさせてもらいました。この想いはプレーする際の強い原動力となりましたね。準優勝という結果も、仙台や全国へチームのことをアピールするいい機会になったのではないでしょうか」
その後、仙台89ERSは、球団の再建計画と共に、チーム存続を願う2万名以上の署名をリーグに提出。翌年からのリーグ戦復帰が認められた。

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震災発生5日後の仙台89ERSの社内
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89番を背負い、沖縄のリーグ準優勝に貢献

仙台のために走り続ける

震災直後から、被災地で支援活動を行ってきた仙台89ERS。その中で、志村さんには強く記憶に残っている出来事がある。避難所訪問として名取市の小学校を訪れた時のことだ。「校庭で子どもたちとバスケをしました。その時に子どもたちが楽しそうにプレーしていたり、避難所の皆さんから『バスケがんばってね』『応援してるよ!』とエールをもらったりしました。それまでは自分たちがどう行動することが、復興支援になるのか悩んでいましたが、その時に『被災地や避難所に足を運ぶことも重要だが、それ以上にバスケを一生懸命プレーすることこそが我々がすべきことだ』と感じましたね」
それからはプレーする際の想いが、以前とは大きく変化したと語る。「震災が起きて、私自身初めて“命”というものに真剣に向き合いました。隣で生活していた方や先週まで応援に来てくれていた方が亡くなったというような話を多く耳にし、自分が生かされている意味は何だろうと考えたんです。そして、それまでは生活するための手段として、自分自身のためにバスケをしていたのですが、『このまちの人たちのためにプレーすることが、仙台出身のバスケットボールプレーヤーである私の使命だ』と考えるようになりました。もちろんプロなので勝利という結果が目標ですが、最後までひたむきに走り続ける姿を見せることで、皆さんを元気付けたいと思うようになりました」

2018年まで、全力のプレーでチームを牽引した「ミスターナイナーズ」惜しまれながら現役を引退した後もフロントスタッフとしてチームに残り、GM(ゼネラルマネージャー)を務めた後、2020年に代表取締役社長に就任した。「選手の時はコートの中でしか自分を表現できませんでしたが、今ではあの時お目にかかれなかった方々にも多く出会うことができ、『昔からずっと応援してきたよ』と声をかけてもらうこともあります。こういった繋がりこそ、私がチームで築いてきた財産です。あの苦しい状況の中で一緒に戦ってきた選手やスタッフ、声援を送り続けてくれた方々のためにも、このチームを守っていくことが今の仕事です」

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昨年、代表取締役社長に就任。チームの運営全般に携わっている