キーパーソンインタビュー

尊い命を災害から守るために、
「自助」と「共助」の考え方で防災活動を行う。
特定非営利活動法人 防災士会みやぎ
理事兼事務局長 菅原 純一さん(写真左)
理事長 児玉 敏幸さん(写真中央)
副理事長 若生 彩さん(写真右)

町内会での防災訓練指導から、幼児向けの防災教育まで、幅広く県民へ向けて防災啓発活動を行う「防災士会みやぎ」。
彼らが活動を本格化する契機となった東日本大震災からまもなく10年が経とうとしている。これまでの歩みで得られた成果と、見えてきた新たな課題について語ってくれた。

STORY 01

それぞれの震災の記憶と、
「防災士」を目指したきっかけ。

「防災士会みやぎ」は、2007年設立の「日本防災士会 宮城県支部」を前身とし、東日本大震災後の2011年秋に発足した特定非営利活動法人である。会員数は127名(2021年2月現在)。広く県民を対象として、防災啓発活動を実施するとともに、平時における地域防災力の向上と災害時の支援活動に取り組み、防災士やこの活動に賛同する市民への支援などを行っている。

東日本大震災を機に会員が団結

「日本防災士会」は阪神淡路大震災をきっかけとして2004年に発足した。その地方拠点として「日本防災士会 宮城県支部」という名称で活動していた2011年当時は、まだ支部としての統一した動きはほとんどなく、東日本大震災直後の活動も、他支部からの応援や支援物資の受け入れ、振り分けなどの間接的な支援にとどまった。
しかし、未曾有の大震災を経て、防災士同士が連携し、より積極的に活動する必要を強く感じた宮城県支部は「防災士会みやぎ」へと名称を変え、より明確な目的を持った組織へと進化した。その後、東北6県それぞれで防災士会が立ち上がり、さらに「東北防災士協議会」も立ち上がった。これは、もし東北で災害が起きた際には、6つの支部が団結をして助け合おうという取り組みだ。

「防災士会みやぎ」に常勤制度はなく、会員の多くは会社員または学生である。会員は休日などを利用して防災活動を行っており、事務所を持たないため活動に必要な資料や道具はみんなで手分けをして自宅に保管している。
「震災当時も同様に、常勤制度のない組織でしたが、基本は会員個人の動きに委ねていたため、防災活動の頻度も会員同士の交流も今よりずっと少なかったんです」
そう語るのは、「防災士会みやぎ」の理事長を務める児玉さん。ほぼ同じ時期に入会した副理事長の若生さん、事務局長の菅原さんとともに、防災士としてこれまで様々な活動を行ってきた。

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児玉さんは2016年から「防災士会みやぎ」副理事長の任に当たり、2019年に理事長に就任した

あの日、それぞれの場所で

2011年3月11日は、3人がまだ防災士の資格を取得する前のこと。地震発生時、児玉さんは勤務する会社におり、会議の真っ最中だった。社内にはたくさんの社員がいたが、揺れがおさまるとすぐに全員を帰宅させた。
「私は町内会の自主防災組織の役員だったので、まずは自分の町内の安全を確認するために動きました。名取市は被害が大きく、人手がいくらあっても足りない大変な状況でしたから、次の週末には沿岸部の閖上中学校へ炊き出しの手伝いに行ったり、避難所へ支援物資を届けたりと様々な支援を行いました」
中田市民センターの館長を務めていた菅原さんも、地震発生時は職場にいた。
「市民センターと隣接する小学校が避難所に指定されていたので、避難者たちが続々と集まってきました。地区外からもどんどん人が集まり始めて、これは大変だということで、職員たちとともに避難所開設を急ぎました」
季節はまだ寒さ厳しい3月。雪が降る中、学校教員等が避難所体育館の安全確認が終わるまで、避難者を体育館前で待機させ、安全確認後避難者を誘導すると、なだれ込むようにして一気に避難者が入ってきたという。それほど大きくはない体育館に、およそ300人もの人々が避難してきた。市民センターに隣接の防災備蓄倉庫にあった毛布を避難者に配布したが足りず、小学校の備蓄からもすべて持ち出し、配布した。菅原さんはそれから1週間ほど避難所運営のサポートを行った。
一方、転勤で仙台に来たばかりの主婦だった若生さんは、自宅にいるときに被災した。
「震災の翌日は上の娘の卒業式を予定していました。午前にその打ち合わせを終えて、上の娘と一緒に家に帰ってきていました。午後は『卒業を祝う会』の予行練習を行う子どもたちの見守りをするために、ちょうど出かける準備をしていたんです。お菓子を袋に詰めて、魔法瓶にコーヒーをドリップして、その蓋をギュッとしめた瞬間に、大きな揺れが来ました」
掃き出し窓から見えた自家用車は激しく揺れ、まるで自らジャンプしているかのようだった。あまりの揺れに驚き、「こんなことが起きるなんて」と現実味のない感覚に陥ったという。

震災後、改めて考えた「自分にできること」

各々の立場で震災を経験した3人。これをきっかけに防災への関心が高まり、「防災士会みやぎ」に入会することとなる。
児玉さんは「私の仕事は、震災が起きると真っ先に復旧・復興に関わる業種です。さらに町内会の自主防災組織に関わっていたこともあり、これからもっと防災活動に携わりたいと思っていた矢先で東日本大震災が起きました。それで、防災士の資格を取得しました」と語る。
その後、防災士として活躍するために、積極的に活動を行う団体に所属したいという思いから、「防災士会みやぎ」に加入した児玉さん。会社員として週の半分は出張に出ているほど多忙だが、休日に防災士として精力的に活動している。
菅原さんも、もともと市民センターの職員として様々な活動を支援する中で、防災への関心は高かったが、やはりターニングポイントとなったのは東日本大震災だ。避難所運営に携わった経験から、地域全体で災害に備えることの大切さを痛感したという。
「震災後、何か自分にできることがないかと考えて調べ、防災士の存在を知りました。すぐに資格を取り、学んだことを活かせるように『防災士会みやぎ』に入会しました」
また、若生さんは子どもを持つ親として「災害から子どもたちを守ること」に目を向け、防災への関心を高めていった。
「私は震災直後、PTAの健全育成委員長として子どもたちの通学路を点検しました。すると、復旧工事車両が行き交い、道も崩れていて危険がいっぱいでした。世の中には地震以外にもいろいろな災害があり、子どもたちは常に危険と隣り合わせです。子どもを守るためにも、まずは防災の知識を学びたいと思ったんです」
若生さんは、「女性のための防災リーダー育成講座」に参加したほか、仙台市が主催する講座を受講して仙台市地域防災リーダー(SBL)になった。そして、「団体に所属し肩書きを持つことで地域での信頼度も上がり、様々な役割を果たせるはず」と考え、防災士の資格を取得し、「防災士みやぎ」へ入会した。

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「『防災士会みやぎ』に入ってからは、尊敬できる方たちと出会い、日々勉強させていただいています」と若生さん