キーパーソンインタビュー

荒浜のめぐみを見つけて、
新しい荒浜を伝えていく。
荒浜のめぐみキッチン
共同代表 小山田 陽 さん(写真右)
共同代表 渡邉 智之 さん(写真左)

津波で壊滅的な被害を受けた仙台市荒浜地区で、荒浜の新しい魅力を伝えている小山田さんと渡邉さん。「ただそこにある土や藁でも、ひと手間、ひと工夫手をかけ、アレンジすることによって、新しい価値を創り出すことができる」そんな思いのもとに、田んぼや畑でのさまざまな体験を提供し、多くの人に新しい荒浜との出会いを楽しんでもらう活動を続けている。

STORY 01

建築家として、農家としてできること。
その思いを持って出会った2人。

荒浜のめぐみキッチンは、建築家の小山田陽さんと農家の渡邉智之さんが共同代表をしている団体である。建築家と農家という異業種の2人。震災当時東京で設計事務所に勤めていた小山田さん、仙台市の荒浜地区で農産物産直販売の仕事をしていた渡邉さんが、どのような思いを持ち、出会ったのだろうか。

東北のために、誰かのためにと、仙台に転職

震災当時、東京の設計事務所に勤務していた小山田さんは、箱根の現場で地震に遭った。「木がわっさわっさ揺れて山が動いている感じで、関東大震災でも発生したのかと思いました。震源が東北沖と知った時は、それは間違いだろうと思ったほど、とてつもない揺れでした」急いでニュースを確認し、仙台の被害を伝える報道で初めて荒浜の地名を知った。
「僕は山形県出身ですが、山形の友達が震災に関する支援活動をしていると聞いたりしているうちに、自分も何かしなきゃいけないなと思いました」
そう心に決めた小山田さんは、仕事で東北復興の役に立とうと仙台の設計事務所に転職し、8月から仙台で働き始めた。震災後、被災地域の設計事務所では建物の被害調査や復旧計画など復興支援業務にあたった。「小・中学校や体育館など公共施設の被害調査と復旧設計、復旧工事監理、さらには解体とその新築も携わっていました」
そんな小山田さんに次の転機が訪れた。「交流のあった東北大学の本江准教授から、仙台市が開設する『せんだい3.11メモリアル交流館』の仕事を手伝ってくれと言われ、これで地域の役に立つ仕事ができると、すごくうれしく思いました」小山田さんは展示物の配置計画・立体地図の制作など会場構成の重要な役割を担った。

産直野菜を届けて、被災者支援

一方、渡邉さんは、当時荒浜地区に住んでいて農産物の産直販売を行う団体で働いていた。震災当日、渡邉さんは荒浜を離れていたが、子どもの保育所で妻と合流したという。その後、七郷中の武道館に避難した母と祖母と合流し、七郷中での避難所生活が始まった。1カ月ほどして仮設住宅に移転となり、2014年に復興公営住宅に引っ越して、ようやく少しだけ生活を取り戻すことができた。
渡邉さんの父親の渡邉静男さんは、荒浜地区で個人営農の農家だったが、津波で住宅とすべての農地を失った。しかし静男さんは震災1年後の春には次の農業再生への道を模索し始めた。渡邉さん自身も「このままではいけない」と意を決し、独立して自分の団体を立ち上げ、産直野菜の販売や物産市の仕事を開始した。「支援してもらって仮設住宅で生活していたものの、当時大勢の困っている被災者がいましたし、買い物難民になり食べ物が調達できない人も多くいましたので、そういう人たちの役に立ちたいという思いでした」
静男さんはかつての個人営農から法人化して営農を再生しようと計画し、株式会社荒浜アグリパートナーズを設立。渡邉さんの産直事業も統合して販売部門として新しく立ち上げることになった。「父は塩害に強い綿花をまず育てようという東北コットンプロジェクトに参加し、綿花を育てることから農業再開のきっかけにしようと考えたんです」渡邉さんもその思いに共感し、農業再開に向けて共に歩み始めた。

農家の子ども世代の勉強会で、出会う

2人が最初に出会うきっかけになったのは「宮城のこせがれネットワーク」という農家で育った人や農と食に関心のある人が集まる団体の会合だった。
小山田さんはこう振り返る。「ぼくは実は山形のサクランボ農家の次男坊なんです。家業は継いでないけれども、一応僕も農家のこせがれだと思って参加して、その時に渡邉さんと名刺交換しました。『荒浜』の地名があったので、震災の時の衝撃的な報道を思い出し『あっ、荒浜なんですね』という話をしました。2015年だったと思います」
その後、渡邉さんは仙台駅近くの荒町商店街で、産直販売の移動店舗を週に2回程度出店していたことがあり、そこで偶然小山田さんと再会し、話もするようになった。ある時、渡邉さんから「ストローベイルハウス」に興味があるということを聞いた。
「これは藁の塊と土壁という自然由来のものでつくる建物のことなんですけど、野菜を販売している渡邉さんがそんなことを考えているのかと驚いたんですね」渡邉さんは「うちは農家で米をつくっているので藁がいっぱい出るし、土もある。それを利用して何かつくれないかと自分なりに調べていたところだったんです」と話す。2人は、こうして荒浜で土と藁を使って何かつくってみようと意気投合したのだという。

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小山田さん(左)と渡邉さん(右)「今日の服装は仕事のイメージからするとなんか逆じゃないか」と笑い合う