STORY 02

ラジオだから伝えられる。
ラジオがあるからつながれる。

番組の継続を支えたもの

今でこそ当たり前になった防災関連の番組やイベントだが、震災以前は珍しかった。防災への関心の低さは、民放FM局での番組存続の難しさにも直結する。そんな中、続けてこられたのは、今村教授のおかげだという。「今村先生は、『私達の研究は人の役に立ってこそのものだから、ラジオを通して広く発信し、多くの人に伝えていくことは、とても大切』と、どんなに忙しい中でも、時間を割いてくださり、番組を支えてくださった。それが息長く番組を続けてこられた原動力でした。震災後に言われるようになった「実践的防災学」を当初から実行なさっていたんです」

「震災当日、今村先生は東京にいらしたのですが、ヘリコプターとタクシーを乗り継いで、その日のうちに仙台に戻ってこられたそうです。そして翌々日の早朝、真っ先にエフエム仙台にいらしてくださいました。すぐにスタジオに入り、専門家の立場から、発生した巨大地震と津波について、今後の余震活動に十分注意することなどを話してくださいました。番組を通して築いていた関係性があったからこそのことで、とても有り難かったです」

グローバルなつながりに感謝

日本語が堪能ではない外国人にとって、災害時の混乱は日本人以上のものだ。不安も大きい。そんな外国人のために板橋さんが企画し、2006年に「SUNDAY MORNING WAVE」の中でスタートした「GLOBAL TALK」は、仙台国際交流協会(現・仙台観光国際協会)と連携し、外国人住民をゲストに迎えて、自国の災害や日本での災害への備えなどを話してもらうコーナーだ。「震災当日の夕方、仙台国際交流協会の方が3人の外国人を連れてエフエム仙台にお越しになりました。今何が起きているのか?どう行動したらいいのかを、不安の中にいる外国人たちに伝えたいという思いからでした。すぐにスタジオに入っていただき、英語、中国語、韓国語、やさしい日本語*で情報を伝えました、その後も、震災関連情報を4つの言葉で放送することになるのですが、これも、番組を通じた関係性があればこそのことでした」

震災後は福島第一原子力発電所の事故の影響もあり、多くの外国人が帰国した。しかし、被災地への支援がしたいと、早々に戻った外国人も少なくなく、その熱い思いと行動力に、板橋さんは驚かされたという。
「震災1ヵ月後に通常の番組編成に戻って、GLOBAL TALKも再開できたのですが、ゲストの方々は、被災地での泥かきや言語ボランティア、海外からの支援物資の提供など、さまざまなボランティア活動を熱心に行っていて、彼らの中に『ボランティア精神』が深く根付いていることを思い知らされました。日本のために、被災地のために何かしたいという強い思いには感動しました」

*やさしい日本語:難しい言葉を言い換えるなど、日本語に不慣れな方などに配慮したわかりやすい日本語のこと。

震災後を生き抜くヒントを伝える

栗原市にある通大寺の住職・金田諦應さんとの出会いも大きい。
金田さんは、震災後から移動式喫茶「Café de Monk」を運営し、お菓子やお茶を振る舞いながら被災者の苦しみや悲しみに寄り添ってきた。「Monk」とは英語で「修道者、僧侶」の意味を持つ。同時に、被災者の心の内に溜まった「文句」を吐き出し、僧侶がともに「悶苦」する……板橋さんは、そのラジオ版「Café de Monk」のパーソナリティを務めることになった。
「週に1回、故日野原重明さん、玄侑宗久さんなど各界で活躍する方々をゲストにお迎えし、震災後を生きるためのヒントとなるような、番組をお聴きくださる方が元気になれるようなお話を伺いました」
ゲストの中には被災地でボランティア活動をした牧師やミュージシャンもいた。どんな思いで活動したのか、どんな出会いがあったのか。ラジオを通して知ることで、未来への希望を抱いた方も少なくないだろう。

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通算2年にわたって続いたラジオ「Café de Monk」では、105名のゲストが未来に向けた思いを語った。その内容の一部は、2012年発行の著書『ラジオ カフェ・デ・モンク』に収められている
STORY 03

次の災害に備えて
思いを引き出し、伝える。

未来に伝え続けるための取り組み

エフエム仙台を退職した後も、「防災・減災プロデューサー」として同社の番組づくりに携わっている。2019年からは、2012年にスタートした震災復興応援番組「Hope for MIYAGI」の制作も担当し、さまざまなゲストを迎えながら、被災地の復興の様子や震災の教訓を未来に伝えていくための取り組みを紹介している。
「SUNDAY MORNING WAVE」から派生したサバ・メシ*コンテストは震災以降中断されてしまったが、これまでアイデアとして出されてきた「サバ・メシ」を紹介する小冊子『Date fmサバ・メシ防災ハンドブック』の発行にも力を注いでいる。「5年間のコンテストで、たくさんのレシピをご応募いただき、その中の90近い優秀レシピをエフエム仙台のウェブサイトに掲載しています。最初はそのレシピをプリントアウトして避難所に配布したらどうかと提案したのですが、レシピだけでなく防災情報なども掲載し、いざというときに役立てていただけるようなパンフレットを作ろうということになりました」
被災地の復興の様子や復興に携わる方々へのインタビューなど、毎年読み応えのある内容の小冊子が発行され、防災関連のイベントなどで配布されている。震災を経験していなかったり、覚えていない世代を対象としたワークブック「そだてようBOSAIの種」を掲載し、宮城県内の小学5年生全員に配布するなど、防災について考えてもらうためのきっかけをつくることにも取り組んでいる。伝え続けることが、風化を防ぐ唯一の手立てだと考えているからだ。

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毎年新しい情報が掲載される『Date fmサバ・メシ防災ハンドブック』

「生き残った者」としての役割

世間で震災の風化が懸念されている一方で、板橋さん自身の中では、あの日の記憶は未だ鮮明だ。番組やイベントを通して触れる機会も多く、10年間、震災を思い返さなかったことはなかった。「例えば担当している音楽番組では、震災前は『良い音楽を多くの人に届けたい』という思いで番組と向き合ってきました。しかし震災を経て、自分の役割を改めて認識することができたように思います。良い音楽を届けることはもちろん大切なのですが、聴いてくださる方が日常の疲れやしがらみからほんのひとときでも離れ、リラックスできる、心が安らぐ――そんな音楽を届けたいと思うようになったのです」
自身の役割を認識するきっかけの一つが、「Café de Monk」のゲストとして招いたある牧師の言葉だった。「その方は震災直後、被災者の力になりたいと横浜から被災地にかけつけたのですが、布教を目的としていると勘違いされてしまい、受け入れてもらえなかったそうです。しかし、根気強く通い続けるうち、誤解が解け、その後はただひたすら、被災者のそばに居続け、彼らの言葉に真摯に耳を傾けたのだそうです。震災後『寄り添う』という言葉がたくさん使われるようになりましたが、寄り添うことの難しさを感じさせられるお話でした。また、『あなたが聴き手として言葉に耳を傾けてくれるから、私もこうして、当時のことを話すことができる』とおっしゃってくださいました」

聴き手としてゲストの言葉に耳を傾け、思いを引き出し、ラジオを通じて発信することは、「生き残った者」としての役割だと、板橋さんは語る。
「震災を経験し、そこで見たもの、知ったことを未来に伝え続ける。そのことを、常に考えさせられる10年でした。情報を発信することと、音楽で安らぎを届けること。それが、今後私が続けていくべきことなのだと思います」

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「Café de Monk」をはじめ、出演するゲストの方からかけがえのない話を聴き、それを発信する機会に恵まれた