「SUNDAY MORNING WAVE」「Hope for MIYAGI」「JAZZ STRUTTIN’」など数々の番組制作を手掛ける板橋さんは、東日本大震災よりも前から、宮城県沖地震に備えるための防災情報を伝えてきた。しかし、それでも多くの方が犠牲になってしまい、後悔を感じることもあったという。震災後、ますます防災への思いを強くした板橋さんは、ラジオを通して「生き残った者」としての役割を考え続ける。
震災直後に感じたのは
後悔と責任だった。
電気・ガス・水道、全てのライフラインがストップし、まち全体が混乱を極めたあの日。ラジオは被災地において、途切れることなく情報を発信し続けたメディアだった。避難所では、パーソナリティが状況を伝える微かな声が、そこかしこから聞こえてくる。――その声の主の一人が板橋さんだ。
「ちょうどお昼休憩が終わる時間帯に、あの大きな揺れに見舞われました。今村文彦教授との防災番組の中で『地震の揺れは1分ほどで収まります』と伝えてきたので、1分を耐え抜けば大丈夫と思っていたのですが……」
揺れは1分どころか、3分を超えて続いた。収まったかと思えばまた揺れる。断続的な揺れに、エフエム仙台が入居するビルも崩れるかもしれないと危機感を募らせた。度重なる緊急地震速報でシステム障害が発生し、一時的に停波状態となるも、復旧後はいち早く情報を発信するためにスタジオに入った。情報がなかなか入らないうちは余震への注意喚起と避難行動を呼びかけ、NHKテレビや気象台から届くFaxをもとに、今何が起きているのかを伝える。
「予想される津波の高さが3メートル、6メートル、10メートル……と、Faxが届くたびにどんどん数字が大きくなる。これまで伝えたことのない高さに実感が伴いませんでした」
仙台市在住の作家・瀬名秀明氏が、当時新聞に寄稿したエッセイの中で「ラジオをつけると仙台のDate fmではすでにふたりの女性パーソナリティーが震災情報を緊迫した声で、しかし見事なほど抑制された口調で伝えていた。6メートルの津波が来るとの警報を受け取ったひとりがついに一度だけ、声にならないため息を漏らし、情報を伝えた。もうひとりがすぐさま『6メートル。家を呑み込む高さです。すぐ避難して下さい』と具体的なイメージを添えて繰り返した。人間の靭(つよ)さを感じたやりとりだった」(『河北新報』2011.4.19 朝刊より)と書いている。その生々しい緊迫感は、リスナーの耳に、心に、確かに届いていた。
防災啓発番組を続けてきた者としての後悔
2004年4月から、板橋さんは防災啓発番組「SUNDAY MORNING WAVE」のパーソナリティを務めてきた。東北大学災害科学国際研究所所長の今村教授(当時、災害制御研究センター所属)とともに、防災に関する情報を発信するための番組だ。「番組が始まった2003年頃は、ちょうど宮城県沖地震の30年以内の発生確率が99%と言われていた時期でもあり、防災に対する意識が高まっていました。その流れで始まったのがSUNDAY MORNING WAVEで、巨大地震が起きたときの備えなどを中心に紹介してきました」
1978年の宮城県沖地震ではブロック塀の倒壊による被害が多かったため、発信する情報も地震への備えに重きを置いたものになっていた。もし津波による被害も想定することができていたなら、救える命がもっとたくさんあったのかもしれない。これまで続けてきた防災番組は肝心な時に役に立てていなかったのではないか。――そう思うと悔しさが込み上げてきた。
余震が続く中、板橋さんは3月11日から3日間泊まり込みで放送を続けた
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番組作りだけでは伝わらない防災の大切さ
宮城県沖地震の発生が高い確率で予想されていたにもかかわらず、番組開始の翌年に新聞に掲載された全国47都道府県の防災意識調査で、宮城県民の防災意識はかなり低いままだった。「番組を発信しているだけでは、伝わらないのかもしれない。何か、もっとアクティヴなことができないか……と、今村先生とも話し合っている中で、「サバ・メシ」という言葉に出会い、非常食のコンテストをやってみましょう、ということになりました」それが、2010年まで5回にわたって開催された「サバ・メシ*コンテスト」だ。「サバ・メシ」とは、「サバイバル+飯」を意味する造語で、災害時でも簡単に作ることができる非常食を言い換えた言葉として、宮城県内では定着してきている。
「防災を意識しよう、日頃から考えよう、といくら訴えても、関心がない人にはまったく響きません。そこで、もっとも身近な『食』を通して、災害時をイメージしてもらい、ライフラインが途絶えた中でも作れる非常食のレシピを公募しよう、と企画しました」
震災から2ヵ月が経った頃、第2回のコンテストでグランプリを獲得した親子のお母さんからメールが届いた。『サバ・メシ*コンテストに参加したおかげで、震災の時子どもたちが落ち着いて行動してくれたのでとても助かった』という、お礼と報告のメールだ。「少しは役に立てたのだと感じられて、とてもうれしく思いました」
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