周りの理解と協力があるから
続けられる。
地元を離れた人たちの交流の場に
当初、「鎮魂の花火」は1回限りの企画だった。「イベントが終わった後も、花火はもういいかなと思っていたんですよ。新しい企画を考えよう、と。でも想像以上に反響があり、メンバーと話し合った結果、毎年開催することになりました」
そのきっかけを作ったのは、イベント開催時に来場者に書いてもらったアンケートだ。「続けてほしい」「また会おう」という言葉に、地元を離れた人たちとの交流の場を作るというプロジェクト本来の目的が果たされていることを感じた。大内さん自身、震災後は4年間にわたり仮設住宅で生活し、地元に戻った一人だが、地元を離れたまま戻らないことを選択した人も多い。
地元を離れてなおつながりを大切にしようとする人々の思いに応える形で開催が続き、第6回目が、2020年12月6日に行われた。
2020年12月開催の花火では交流会が中止となったが、同年1月25日に開催された第5回「鎮魂の花火」では約150名の地元住民が集まった |
資金を集めるための募金活動に奔走
「鎮魂の花火」を続ける上で課題となったのは、どのようにして資金を集めるか、だ。予算を捻出するには募金に頼るしかなく、大内さんたちは募金活動に奔走した。「小学校や中学校で募金を集めることもありましたし、町内会長のご厚意で市民まつりでも募金の機会をいただきました。知り合いの伝手で参加した会合でイベントについて説明して理解を得たりもしましたね」
震災直後から東六郷小学校への支援活動を行っていたホテルオークラ神戸からは、小学校が閉校した後、小学校のために集めていた募金を運用資金の一部として寄付したいという申し出があったという。
新型コロナウイルス感染症の拡大によりイベントなどでの活動がままならなくなった2020年は、仙台市若林区中央市民センターの地域づくり事業に参加する学生たちが企画して作った「仙台・絆サイダー」1000本の売上の一部が募金として集まった。
多くの人に支えられていることを実感
コロナ禍における課題は募金活動ができないことだけではない。毎年多くの観客が集まるイベントだけに、「密」にならないよう、観覧スポットを工夫する必要があるからだ。「そもそも開催を告知していいかどうかも分かりませんでした。告知をすれば人が集まり、それだけで密な環境ができてしまう。だったらいっそ、例年のような大々的な告知はせず、花火を打ち上げるだけにとどめよう、という話になりました」
さっそく六郷地区町内会連合会の会長に、その報告をした。しかし会長は顔をしかめるなり、「誰から募金をいただいて開催できると思っているのか」と大内さんを諭した。
「『誰もいないところで数発打ち上げるだけの花火に何の意味があるのか』、と言われてしまいました。同時に、確かにその通りだとも思いました」
募金をしてくれた人にも地元を離れた人にも日程を伝えず、花火だけを打ち上げるという行為は、ただの自己満足でしかない。大内さんたちは当日密にならないようにするため、例年通りの交流会は開催しないこと、会場ではなく少し遠くから個々で鑑賞してほしいことなどを明記する形で告知をすることにした。
「理解し、協力してくれる人たちがいるからこそ、イベントとして長く続けられるのだということを改めて実感しました。また、会場である六郷市民センターの歴代館長もとてもやる気にあふれた方々で、地域づくりにも力を入れてくださっている。そのことに深く感謝しています」
地域を盛り上げるイベントを
これからも仲間たちとともに。
コミュニティ広場を活用した新たな企画
2017年、東六郷小学校は60年の歴史に幕を下ろした。その跡地には「東六郷コミュニティ広場」が整備される。小学校時代のグラウンドやステージはそのままに、津波に耐えた桜の枝から育てた若木を植樹し、地域固有の「井土メダカ」のためのメダカ池を新たに設け、2021年にオープンする予定だ。「春には花見が楽しめ、ステージを活用すればくろしお太鼓の演奏イベントも開催できる。広場が完成することで、プロジェクトとしての活動の幅も広がっていくのでは、と期待しています」
東六郷小学校で演奏されてきたくろしお太鼓は、現在六郷小学校に引き継がれている。しかし子どもたちに教えるのは、先生方には負担が大きい。そこで新たに「くろしお太鼓応援隊」を結成し、後世に残すための活動が開始された。校舎はなくなってしまったが、同じ場所で太鼓の音色が響き渡る日がくるのも、そう遠い話ではないだろう。
また、冬の「鎮魂の花火」、夏の「六郷東部夏祭り」が年間イベントとして定着した今、新たな定期イベントの開催も視野に入れている。「10月には、藤塚地区の”今”を知るための散策を実施しました。地域の住民がかつての風景を思い出しながら今を見つめ、同時に、かつての風景を知らない世代の方々に地域のよさを知っていただくためのものです」
新しいことを始めるのは、簡単なことではない。「鎮魂の花火」のときのように資金面の問題をどうクリアするか、どのような内容にすれば住民の方々が楽しめるか、事細かに考え、内容を詰めていかなければならないからだ。六郷東部地区では、震災の影響で家にこもりがちになってしまった高齢者が大勢いる。こうした方々を含め地域全体を巻き込むようなイベントを展開することで地域を盛り上げること、そして六郷東部地区を襲った震災の記憶を風化させないことが、大内さんたちの使命だ。
仲間と一緒に地域をつくり上げる楽しさ
「知り合いから、『よく続けられるね』とか、『嫌にならないのか』といった声をかけられることがあります。震災という大きな出来事がなければ、私だって同じように思ったかもしれません。しかし震災によって疲弊していく故郷を見ていると黙っていることはできませんでした」
地域を盛り上げる活動は誰かがやっていかなければならない。その世界に自らの意志で、手探りのまま飛び込んだ大内さんは、活動についてただただ「楽しい」と満ち足りた様子で笑う。「プロジェクトだけでなく、学校のPTAだったり消防団だったり、さまざまなところで活動していると、いろんな人と交流を持つことができる。活動一つとっても私一人でこなしているわけではなく、仲間と一緒に、意見を出し合いながら作り上げていく。その結果地域の元気につながるのであれば、こんな楽しいことはありません」
活動では大学生ボランティアが参加することもある。若い世代にも大内さんたちのような意識が広がれば、活気をなくしかけた地域にもかつてのようなにぎわいをよみがえらせることができるのかもしれない。大内さんの笑顔には、そう思わせる力強さがある。
「震災は確かに悲しいこと、辛いことが多くありました。でも決してマイナスなことばかりではなかったと思います。仲間と一緒に地域を作り上げていく楽しさを、新しく入ってくる人たちにも伝え、今後の地域づくりに生かしていけるよう、できる限りのサポートをしていきたいと思います」
大内さんにとって、震災の経験が地域活動において全ての原動力になっている
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