キーパーソンインタビュー

地域住民を巻き込みながら、
ふるさとにもう一度にぎわいを。
わたしのふるさとプロジェクト 代表 大内 文春さん

六郷東部地区の住民が主体となって、行政や各関係機関と地域の再生や活性化について意見を交わし、地域を巻き込むイベントの企画・運営を行う「わたしのふるさとプロジェクト」。大内さんが自ら率先して立ち上げに関与し、仲間たちとともに数々のイベントを開催してきた背景には、活気を失いつつある故郷への強い思いがあった。

STORY 01

故郷に活気を取り戻したい。
震災直後からの変わらない思い。

津波の襲来を告げるサイレンが鳴り響く。若林消防団の一員として地域の子どもや高齢者の避難誘導をした後、大内さんは保育園に通うわが子を迎えに車を走らせた。
亘理I.C.から仙台港北I.C.まで続く仙台東部道路は、広大な田園地帯が広がる仙台平野を襲った津波をせき止める堤防の役割を果たしたとされている。その東部道路の内陸側の側道を走っていた大内さんが、黒く迫る波の全容を見ることはなかった。
被害の大きさを目の当たりにしたのは翌日のことだ。周囲はがれきに埋もれ、見慣れた故郷の景色はどこにもない。車も通れるような状態ではなかったため、重機で動線を確保した。「東六郷小学校や六郷中学校には津波の被害に遭った方も避難してきました。毛布も足りず、寒い避難所で何日も生活をすることは困難。自分たちが動くしかないと思いました」
がれきを一時的に撤去するだけならまだよかったのかもしれない。消防団としての仕事は、その後1ヵ月続く遺体の捜索活動にまで及んだ。「1999年に入団して以降、ちょっとした水害や火災の対応はしてきましたが、まさか自分たちが捜索活動に関わることになるとは思ってもみませんでした」筆舌に尽くしがたい光景は今も瞼の裏に焼き付き、思い出せばつい、涙がにじむ。凄惨、というひと言では片付けられない現実は、大内さんにとって、地域との関わり方を見つめ直すきっかけとなった。

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自宅も被災したため、仮設住宅での生活を余儀なくされた

PTA会長という立場で夏祭りを企画

震災が発生する1ヵ月前、大内さんは東六郷小学校のPTA会長に就任することが決まっていた。本来であれば自身の母校でもある小学校で、桜の開花とともに新入生を迎え入れるはずだった。「PTAという立場を生かして何かできないかと考え、最初に企画したのが地区の夏祭りです。毎年4つの地区でそれぞれ御神輿を作り、町内を練り歩いて開催していたのですが、2011年の夏祭りでは規模を縮小し、4つの地区が合同で御神輿を作ってなんとか実施しました」震災直後は自粛ムードのあおりを受け、全国各地でさまざまなイベントが中止や延期を余儀なくされていた。地区の中にも「こんな大変な時期に祭りなんてするものではない」と渋る方もいたという。その気持ちもよく分かる。それでも、地域全体が元気になるためにはその一歩が大切なのだと、大内さんは語る。「みんなが元気をなくしているときだからこそ何かしなければ、という思いで始めた夏祭りは、『六郷東部夏祭り』として現在まで続いています。神戸の方々が支援に来てくれたこともあり、人とのつながりを感じると同時に、やってよかったと今でも思います」

にぎわいを取り戻すためのプロジェクト

震災の影響で、地元から離れる人が増えた。これまで開催されてきた行事もほとんどなくなり、地域から元気がなくなっていくのを肌で感じる。その流れを食い止めようと、2014年、残った住民たちで立ち上げたのが「わたしのふるさとプロジェクト」だ。ふるさとのにぎわいを取り戻し、移転した元住民たちとの再会と交流の機会をつくるため、さまざまな活動を展開する。「プロジェクトの名前を決める際、いくつか候補が出ましたが、生まれ育った地域を元気にしたいという気持ちがわかりやすく率直に伝わる名前に自然と落ち着きました」シンプルな名称に、ただ純粋に故郷を思う心がにじむ。

プロジェクトの活動は「来てけさいん♪ お餅と太鼓で思いでばなし」から始まる。地域の住民たちで餅つきを楽しみ、東六郷小学校で代々受け継がれてきた「くろしお太鼓」の演奏に耳を傾け、思い出に浸る。餅つきを選んだのは開催時期が1月だったからだが、仙台平野を擁する六郷東部地区のもち文化を楽しみながら、多くの人が参加し、思い出を語り合う機会となった。

犠牲者を弔う「鎮魂の花火」を開催

開催するイベントの内容はプロジェクトメンバーで話し合って決める。餅つきや地区の清掃活動などを行い、次にどんなイベントをしようかと会議が開かれた。そこでメンバーの一人から発せられたのが「花火はどうか」という意見だった。
参考にしたのは、毎年8月に開催される日本三大花火大会の一つとしても有名な「長岡まつり大花火大会」の白い花火だ。1945年の長岡大空襲で命を落とした方々への慰霊と復興への願いが込められているこの花火に、大内さんたちは自分たちの気持ちを重ねた。六郷東部地区で犠牲になった126名に捧げる「鎮魂の花火」。提案に対し、否やを唱える人はなかった。

「1回目の開催は2015年1月。プロジェクト立ち上げ前から毎年開催していた夏祭りと対になるよう、冬の開催としました。しかしどれくらいの資金が必要になるのか、どうやって資金を工面するのか、花火はどこに発注すればいいのかなど課題は山積み。たまたま花火師が知り合いにいるというメンバーがいたため、その方にお願いすることになりましたが、予算が潤沢なわけではなく、花火師の方の理解がなければ開催は難しかったかもしれません」
今では六郷東部地区の冬の風物詩となった「鎮魂の花火」は、地元に残った人、離れたけれど故郷を思う人々の心を一つにしてくれる。

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東六郷小学校の跡地には慰霊碑が建つ。126名を弔いつつ、地元を離れた人たちとの交流の機会を作りたいと語る大内さん