STORY 02

普段のコミュニケーションが災害時に役立ち
思い出の場所が被災者にとって心のよりどころに。

住民同士の強い絆が伝承の礎に

震災により157人が犠牲となった中野地区は災害危険区域に指定され、住民は長年住み慣れた土地を離れて、防災集団移転事業により他の地域へ移住せざるを得なくなった。新たなコミュニティの中で戸惑いや不安を感じながらも、従来育まれてきた住民同士の結束力は変わらなかったと下山さんは述懐する。「震災前から4つの町内会がまとまっていたため、離れ離れになっても交流が途絶えることはありませんでした。普段地域の中でコミュニケーションを取っていれば、どんな困難でも乗り越えられるのを実感しました。復興が比較的順調に進められたのも、住民同士の絆が強かったからだと思います」

震災により校舎が被災した中野小学校は中野栄小学校に併設され授業が再開されるも2016年に閉校した。現在なかの伝承の丘がある場所はその跡地だ。この丘に込められた思いを下山さんに聞いた。「当初このような丘を造る構想はありませんでした。モニュメントの設置場所は、津波被害を受けた沿岸部がふさわしいだろうと考えられていました。ところが、中野小学校が廃校されることに決まったことにより、地域住民の思い出がいっぱい詰まった小学校の跡地が最もふさわしいと考え直し、津波が到達した高さにこだわり、丘として整備することになりました。ただ、規模を大きくすると、それだけお金がかかります。献花台にしても、どのようにするか様々な議論が交わされました。最終的には地域住民にとってかけがえのない思い出の場所にモニュメントを設けて、震災を後世に伝えらえる象徴的な丘にしましょうと仙台市にお願いしました」
願いが叶い、なかの伝承の丘は2016年8月11日に完成式典を開催し、以後被災した人々の心のよりどころになっている。

旧中野小学校区復興委員会は2017年3月31日をもって解散し、4月1日には同じメンバーにより「なかの伝承の丘保存会」が発足した。「保存会は慰霊塔や慰霊碑の清掃・除草等を年3回行い、なかの伝承の丘の保存と維持を担います。地域住民との親睦を図るため、夏の暑気払いや冬の忘年会など様々なイベントも行っています」と大和田さんは、将来的にはこの丘を中心に震災を伝承していくことの可能性に期待を寄せている。

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発災直後から地域住民のために活動した下山さん

分断されたコミュニティをつなぐ

震災の犠牲者を追悼する合同慰霊祭はなかの伝承の丘で行われる。一周忌、三回忌、七回忌の各来場者は1千人を越えた。「私たちの予想を遥かに上回る人出でした。私も震災で父を亡くしています。遺族の気持ちは他人には分かりません。そのような思いを抱えながら、慰霊祭では一年ぶりに再会する人もいました。ふるさとを失った私たちがふるさとに帰ることができる場所は、なかの伝承の丘しかありません」と下山さん。
毎年3月11日の前後にはモニュメント前に献花台が備えられ、遺族や元住民が訪れる。2020年は新型コロナウイルスの感染拡大を考慮し一時見合わせも検討されたが、アルコール消毒液を用意し、恒例だった芋煮汁の振る舞いを中止するなどして実施した。「慰霊祭でなかの伝承の丘を訪れる人は、哀しみを抱えています。今後は丘を起点に、もっと明るく楽しいイベントを開催していけるといいですね。そのためにも周りの公園整備は急がなければなりません」と下山さんが構想するように、保存会ではなかの伝承の丘をより身近に感じてもらえるような活用法を模索している。

震災により分断された地域のコミュニティをどのようにつなぎ、保っていくかは多くの被災地で課題となっているが、旧中野小学校学区内に含まれる西原町内で暮らしていた住民が出した答えは「西原(にしっぱら)新聞」だ。「2011年11月に創刊され、2016年2月までの4年4ヵ月間、月刊で49号発行しました(2017年5月には50号を特別発行)。西原町内会の解散後も住民の思いや出来事を紹介し、この新聞により絆をつなぎ止めることができたと思います。役員の妻たちが女性記者として活動し、生活者ならではの視点も新鮮でした」と大和田さんは手作り新聞が発行された意義を高く評価する。

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なかの伝承の丘敷地内に立つ「東日本大震災慰霊の塔」
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最終的に50号まで発行された「西原新聞」は冊子にまとめられている
STORY 03

地域の歴史や住民の声を映像に残し
震災から得た教訓を伝え発信していく。

中野伝承プロジェクトの役割と意義

2018年から、なかの伝承の丘保存会は新たなプロジェクトに取り組んでいる。地域の歴史や住民の声を映像に残す「中野伝承プロジェクト」だ。映像は7つのテーマに分かれている。「日和山と中野小太鼓編」は日本一低い山と地域文化の伝承について、「婦人防火クラブ編」は日頃の防災訓練がどのように生かされたかを取材している。「3.11大津波編」や「中野小学校への避難編」は発災直後の状況を当事者の証言等により紹介されている。また、復興に向けての活動は「復興対策委員会編」「西原新聞編」に記録されている。中野伝承プロジェクトを担当する保存会事務長の村上幸一さんは「私たちは復興対策委員会の議事録を通して、震災について地域内外の方に知ってほしいと考え、復興対策委員会のコミュニティサイト、通称『なかのコミサイ』を開設しました。全101回分の議事録をはじめ、語り部の会や復興川柳など多彩なコンテンツを収めた『なかのコミサイ編』のビデオも制作中です」と意気込んでいるという。

中野伝承プロジェクトは当初2020年3月に第一弾をお披露目する予定で進められていた。村上さんによると「せんだいメディアテークのイベント『星空と路』で、日和山と中野小太鼓編の完成祝賀会を実施するはずだったのですが、新型コロナウイルスのためイベントが中止され、中野伝承プロジェクトも一時休止する事態に陥りました。現在は年度内に全7本の完成を目指して、編集作業の真っ最中」だという。
「2年以上の時間を費やして取材・撮影を行ってきた映像は、大きな発信力があると信じています。映像が完成したら、地域住民はもとより大勢の方々に公開することで、震災とは何だったのか、また防災はどうすれば良いのか等、様々な教訓が発信できることを望んでいます」と大和田さんも完成を待ち望んでいる。

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丘の階段上り口には被災した4つの町内会を紹介する碑が立つ
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中野小学校はなくなっても、ふるさとへの思いは永遠だ

世代交代の時期を迎える保存会

「仙台中野小学校区復旧対策委員会」から「復興対策委員会」、「なかの伝承の丘保存会」へと名称を変えながら、大和田さんらは地域の復興に尽力してきたが、保存会は世代交代の時期に差し掛かっている。「震災が起きた時、私たちは60代後半でしたが、すぐに支援活動を繰り広げられる体力がありました。現在私たちは70代後半です。10年前と同じ動きが取れる年齢ではありません。いずれ次の世代にバトンタッチしていかなければなりません。震災復興に新陳代謝は不可欠。将来的には孫の代まで保存会が継続されるのを望んでいます。これまで一緒に活動してきた後輩は、私たちのやってきた姿を見ていますから大丈夫ですよ。後輩たちだけでなく、今後は地域について良く知っている旧中野小学校PTAの OB・OGに参加してもらうことによって、新陳代謝がよりスムーズに行われるのではないかと期待しています」と下山さんは世代交代を前向きに捉えている。コロナ禍により中野伝承プロジェクトは一時的に足踏みしてしまったが、大和田さんと下山さんの思いは若い世代へと引き継がれていくことだろう。

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これまでの活動を次世代に託したいと語る大和田さん(右)と下山さん(左)