キーパーソンインタビュー

長年培われてきた地域のコミュニティが、
人と人との絆を結び、復興を後押しする。
なかの伝承の丘保存会
会長 大和田 哲男さん(写真左)
副会長 下山 正夫さん(写真右)

かつて伊達藩の食料備蓄基地として栄え、仙台新港が開かれてからは宮城県および東北地方の物流拠点となった宮城野区中野地区。地区内にある4つの町内会は中野小学校と合同で学区民運動会や中野コミュニティーまつりを実施するなど、長年にわたり世代を超えて交流を深めてきた。これまで培われてきた歴史と人間関係は震災時にも生かされ、旧中野小学校跡地が「なかの伝承の丘」となった現在、保存会は今後震災をどう伝承していくかについて知恵を絞り、様々な手法を駆使して発信している。

STORY 01

一瞬にして失われた日常生活を取り戻すため
地域住民と行政が協力し合い、いち早く復興へ。

2011年3月11日に発生した巨大地震から約1時間後、七北田川に大津波が襲来した。当時中野小学校の西約500mの地点にあった用水堀の水門に、流れてきたガレキ等が押し寄せ5〜6mもの高さに達したため、七北田川北側の道路は車両の通行が困難になった。陸の孤島と化してしまった中野地区で、地域住民は互いに協力し合いながら冷静に対処していった。

震災時に生かされた独自の地域性

中野地区では長年の悲願だった蒲生干潟の防潮堤、および七北田川堤防のかさ上げ工事が2008年度に完成していた。2009年には中野小学校学区の4町内会が連合で自主防災組織を立ち上げ、毎年秋に防災訓練を実施。防災訓練で中心的な役割を担ったのが消防OBの大和田さんだった。しかし、その大和田さんですら想定をはるかに越える甚大な惨状に言葉を失ったという。「家屋が津波により流出し、土台を留めていたボルト締めの鉄筋が切り取られている光景にはびっくりしました。550人ほどの児童や教職員、地域住民が避難した中野小学校も高さ4.5mの津波に襲われ、校舎の2階床上20cmまで浸水。通信手段が途絶え、外部との連絡が一切取れなかったのも不安をあおりました。夜になるとヘリコプターが北上して行くのが見え、学校に備えてあった懐中電灯と避難者が持っていた懐中電灯を使い合図を送りました。やがてヘリコプターが学校にやって来て、避難者の救出ができた時はホッとしたものです」

元々地元の行事等を通じてコミュニケーションをしっかり取ってきた地域性は、避難所でも遺憾なく発揮された。「避難した住民は、町内会ごとに教室を割り振りし、出入口に町内会名を掲示。お陰で約550人の住民を混乱することなく収容できました。また、発災当日の夜はとても寒く、備蓄用倉庫にあった大きめのゴミ袋も役立ちました。真ん中を頭が入るくらいの大きさにカットして、両袖も切って皆さんに配布。袋は体温で暖かくなり、寒さをしのぐ効果がありました」と大和田さん。身近なものを防災に活用するという知恵が人々の命を救った。

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発災時、先頭に立って避難者を誘導した大和田さん

発災から9日後に復旧対策委員会が発足

仙台市災害対策本部とようやく連絡が取れたのは3月11日の午後10時頃。大和田さんは的確に情報を伝達した。「避難者の総数や避難所の状況に加え、寒さ対策用に毛布の支給を依頼しました。その後、自衛隊のヘリコプターが学校の屋上に飛来し、300枚の毛布が届けられ、子どもや高齢者を中心に配ることができました」
ところが、一夜明けて大和田さんが目にしたのは衝撃的な光景だった。仙台新港から無数のコンテナが折り重なるように流出。海面が全く見えなくなるほどだった。信じがたい状況に大和田さんは愕然とした。

しかし、大災害に恐れおののいてばかりはいられない。大量のガレキを撤去し、行方不明となった住民の捜索も行わなければならない。仮設住宅の建設、被災した住民の支援も早急に行う必要があった。「発災から9日目の3月20日、4町内会の役員を中心に17名で『仙台市中野小学校区復旧対策委員会』を発足しました。開催場所は流出を免れたしらとり幼稚園の講堂をお借りし、同年7月からは『復興対策委員会』に改称。場所を宮城野体育館会議室および高砂市民センター、鶴巻の仮設住宅の会議室等にして、毎月第4日曜日に会議を開催しました」と大和田さんは当時を振り返る。
復興対策委員会の出席者は仙台市および宮城県の担当者、警察職員に自衛隊員のほか、顧問として地元の市議会議員や県議会議員、国会議員が名を連ねた。発災直後から大和田さんと行動を共にしていた下山さんは、行政が会議に加わったことで復旧のスピード感が増したと感じている。「今こういう問題がある。どうしたら良いか。会議の場で私たちが問題提起等を行うと、次の会議までにはきちんと回答を持ってきてくれました。行政の方々のご尽力により、会議がとてもスムーズに行えたのはありがたかった」
大和田さんは行政とのやり取りでは常に本音をぶつけてきたという。「相手にしてみれば多少キツい口調に聞こえたかもしれません(笑)。ただ包み隠さず本音で話せば、ちゃんと結果は付いてきます。私たちは事前に住民から意見を聞いて、会合の場に臨んでいますし、一部の人間の意見じゃない。地域住民のお願いなのだ、ということが行政担当者にもしっかり伝わったと信じています」

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なかの伝承の丘の階段に「津波到達高海抜5.5m」の表示がある