キーパーソンインタビュー

新規就農者として、先人たちの土地を大切に、
未来につながる農業を創造していく。
平松農園 平松 希望さん(写真左)
農家 堀江 由香利さん(写真右)

東日本大震災をきっかけに、実家の農業を復活させようと思い立った堀江さん。大学進学とともに仙台市で暮らすことになり、大学の研究と被災地のボランティア活動を通して、農家を志すようになった平松さん。現在、新規就農者として被災地の農業を支えている2人に、就農するまでのいきさつや農業への想い、これからの目標について話を聞いた。

STORY 01

震災をきっかけに
被災地で農家を志すように。

広大な仙台平野が広がる仙台市東部地域は、仙台圏の地産地消を担う一大農業地帯だが、東日本大震災の津波によって、沿岸部の農地にはがれきが積み上がり、ほとんどの農業機械や施設は流されてしまった。厳しい現実を目の当たりにしながらも、地域に代々伝わる農業に誇りと愛着を持ち、就農に向けて歩み始めた若者たちの姿があった。

一度途絶えてしまった実家の農業を復活

農業が盛んな荒井地区で生まれ育った堀江さん。実家は農家で、長年祖母が農業を営んでいたという。しかし、両親は民間企業勤めで、祖母には後継ぎがいなかったため、家業は途絶えてしまう予定だった。堀江さんは「祖母は農家を辞めてから、庭で家庭菜園をしていました。私は普段、仙台市街で働いていたので、休みの日に祖母の手伝い程度で野菜作りを行っていました」と話す。

2011年3月11日、堀江さんの日常生活を脅かす突然の悲劇が起きた。堀江さんの実家が、震災による巨大津波に飲み込まれ、ほぼ全壊状態に。被害が少なかった納屋以外は全て解体することとなった。「祖母は以前から認知症を患っていましたが、震災で強いストレスを感じたのか、一気に体調が悪化してしまいました。認知症の高齢者を抱えながらの避難所生活は不安で、震災直後はアパートに住んでいました」
堀江さんは、今すぐにでも住める場所を、と必死になって住まいを探していたという。そんな中、たまたま知り合いに不動産業を営む人がいたので、賃貸アパートを紹介してもらい、約1年半そこで生活した。

その後、堀江さんは祖母や子どものことを考え、内陸部の富谷市に家を新築し、約1年半過ごした。しかし、堀江さんは転居を繰り返す中で、代々受け継がれてきた自分の土地を守り、野菜を作りたいという気持ちが生まれ、再び荒井地区に戻ることを決意した。「震災から3〜4年経って自分たちの生活が落ち着いてきたころに、一種の責任感が芽生え、やっぱり自分が生まれ育った土地を大切に守っていかなければいけないと思うようになりました。また、幼い頃から実家の野菜を食べてきたので、住まいを転々としている間に、実家の野菜の味が恋しくなり、自分で作りたいと考えるようになりました」

地元に帰ってきたものの、農業の知識もノウハウもなかったため、農業大学校に入学し、勉学に励むようになる。その過程で、学校の先生から就農を勧められ、本格的に農業に取り組むようになった。そして2016年、新規就農者になった。

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震災直後は家の片付けや新居への引っ越しなどで、目まぐるしい日々を過ごしたという堀江さん

学生時代の学びやボランティアを通して、農家の道へ

堀江さんと同じく、仙台市沿岸部で農業を営む平松さん。出身は富山県で、震災当時は地元の高校3年生だった。「震災当日は大学の入学手続きのために仙台市に来ていました。親と自家用車で来ていましたが、帰りにガソリンが手に入らず、その日は市内のホテルに避難し、ロビーの一角で寝泊まりしました」
地震発生直後は、仙台市中心部にある大学キャンパスの近くにいたため、津波に気付かなかったという平松さん。テレビのニュースやラジオを通して、津波による被害の大きさと深刻さを知ることになった。

震災による被害のため、大学の入学式は1カ月余り延期に。平松さんは大学に通うため5月から仙台市で一人暮らしを始めることになった。
大学では農学部で、農村のあり方や環境問題などを経済学の手法を取り入れて研究していたという。「海外から大量の農産物が安く輸入されることによって、日本の農業が大きなダメージを受けることや、農村はだいたい過疎地にあって、農業の若い担い手が見つからないことなど、様々な農業の課題を学びました。大学での研究を通して、将来は現場で働きたいと思うようになったんです」
平松さんが農家の道に進むようになったきっかけは、在学中の研究にもあるが、仙台市の沿岸部で行ったボランティア活動にもあった。ボランティアでは、被災した農家の畑でがれき拾いを行ったり、道路の側溝に溜まった泥出しを行ったりしていた。「ボランティア活動を通して、地元の農家さんと接する機会が多々ありました。家が津波で流されて住めなくなった人や、農地にがれきが散乱しており、とうてい農業が再開できないような人もいました。それでも再び農家として働きたいと考える人がボランティア団体の窓口に協力を求めにきたんです。逆境に負けず前向きに頑張る姿勢に惹かれ、農家に憧れを抱くようになりました」
大学卒業後、平松さんは農家を目指すために、様々な企業や団体、個人の農家などに赴き、約2年、農業の知識やノウハウを勉強。そして2017年、念願の新規就農者になった。

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平松さんは在学中の4年間、仙台市沿岸部でがれき拾いなどのボランティアを行っていた