いち早く行動を開始し、
農業復興けん引役の務めを果たす。
農機具を借りて、田植えを始める
佐々木さんたちは、被害を免れた東部道路西側の農地で田植えをすることを決断した。しかし田植えをするといっても、組合には何もなかった。方々に声をかけて内陸の育苗センターから苗を分けてもらい、知り合いからトラクターと田植機を借りた。「どうにか4ヘクタールほど田植えをすることができた。10ヘクタール分は、苗も揃わないので、ラジコンヘリによる種籾の直播を委託することにしたんです」準備に時間がかかったため、例年より半月以上も遅い5月末の田植えだった。
水を被ったところは、土の除塩作業をしなければいけなかった。一部の農地で試験的に除塩して作付けしてみることになり、自分たちで除塩して、大豆を植えた。「大豆は味噌を作るために必要なので、2ヘクタール分は大豆にした」こうして、2011年度は水田14ヘクタール、大豆2ヘクタールの作付が実現。佐々木さんは、被災したその直後に田植えを始めることができた、という気持ちの高まりとともに、地域の中でいち早く農業再開に動き始めたという責任の重さも感じていた。
行政で被災農地の復興計画を組み立て始めた時期に、佐々木さんはより良いほ場整備になるように要請をした。「復旧で終わったらダメで、復興してもらわないと困る。小さな区画を大きな区画に集約して、担い手が少なくなっても容易に米が作れるようなほ場整備にしてくれ」という話をしたという。
佐々木さんの次の行動計画は、5月に田植えを行った水稲の収穫時期に間に合うように、農業機械を調達しなければいけないということだった。佐々木さんは交付金と補助制度を活用して、稲刈り用の大型機械を導入することにした。
刈り取りが始まる頃になったら、組合のほかのメンバーも「なんとか落ち着いたから、また一緒にやりたい」と言って戻ってきてくれた。こうして水田は組合メンバーが大型機械を使って収穫することができた。収穫された新米は、被災して作付けができなかった農家の仲間が暮らす仮設住宅に届けられた。
2011年のうちに仙台市沿岸の農地を埋め尽くしていたガレキが撤去され、復旧工事が開始されたので、作付可能な面積は、2012年度は約33ヘクタール、2013年度は約60ヘクタールと着実に回復していった。組合には米の乾燥調整を行うライスセンターも建設された。
米農家の基幹施設であるライスセンターでは、米の品種毎に乾燥調整を行い、安定した品質を保っている
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農地整備とともに6次産業化※を実行
※6次産業化/農林漁業者が、農・水産物の生産(1次産業)だけでなく、食品加工(2次産業)、流通・販売(3次産業)にも取り組んで相乗的に高付加価値化をはかり、農林水産業と地域経済の活性化を目指す取り組みのこと
佐々木さんの復興計画は、ほ場整備、農地面積の回復ということに留まらなかった。「震災前から米づくりだけではなく、そこを土台にしておにぎりや味噌や加工品を直接地域の人に届けたいという思いを持っていました。復興計画で農業も大きく変わるのならば、私たちも思い切って始めてみよう」と、農地整備、農業再開が動き始めると同時に6次産業化を実行に移すことを決めたのだ。
さっそく事業計画の申請をして2011年度第2回の事業者認定を受けた。計画の内容は、農産加工施設と販売店舗の新設だ。「震災前に考えていたのは加工施設の脇に、ちょっとおにぎりを食べられるコーナーを設けるという簡易なものだったけれども、事業計画の予算規模の関係で結果的には農産加工施設と地域食材供給施設を組み合わせた計画になりました」味噌蔵も全壊だったので、修繕して元に戻した。
融資で足りない分は自己資金も投入した。「内心は、多額の借金を抱えることになって、いったいどうしようかという状態だったが、もう後戻りはできない」と腹をくくったという。2012年7月には仙台市が国に申請した「農と食のフロンティア推進特区」の認定事業者として指定を受けた。「市内第1号の指定でした」
2013年5月、内陸の蒲町に佐々木さんの妻千賀子さんが店長を務める「おにぎり茶屋 ちかちゃん」が開店した。
かなりの自己資金を投入してまでも6次化に舵を切ったのは、ただ農地を戻しましたということではなく、復興の意味合いを考えたからこその結論だった。「仙台イーストカントリーで扱う農地を再生して、米という価値で返していきたい。米とともに立ち上がるきっかけをくれた味噌やいろいろな加工品も提供して、何かわかりやすいかたちで伝えていきたい。組合から始まって地域全体に復興の姿を伝えていきたい」そんな農業を目指そうという気持ちの表れだ。
「おにぎり茶屋 ちかちゃん」では、米や味噌、加工品の販売とともに、2階食堂でつくりたてのおにぎりを食べることができる
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若い世代に引き継いで、
これからも長く続けていける農業へ。
心のふるさとをずっと残していくために
「震災時、農家の人が何人か亡くなったし、2014年には組合のメンバーが52歳で急逝した。みんなそれぞれがんばってきて道半ばで、本当に無念だったろう」と今でも佐々木さんは思い出す。この10年を振り返ってみて、日々の積み重ねを未来につなげる必要があると佐々木さんは考えている。「あらためて思ったのは、農業というのは担い手がいつも前向きなやる気を持っていなければ続けられないんだということだね。あの時、自分は58歳で、なんとか立ち上がったけれども、もし今の年齢だったら、たぶん挫折感だけ膨らんで農業をやめていたかもしれない」
実際に高齢を理由に営農を諦めた人がたくさんいた。「われわれの組合で農地を預かった人もいるし、離農した人も多かった。でもようやく最近になって、ここの畑に戻ってくる人が出てきた。若林区や隣の太白区の市街地に移った70代の人が、ここの畑に通って来て一日中畑仕事をしていくのね」被災して、ここを離れ、今まで来ることができなかったこの地に、ようやく来ることができるようになった。そういう人が何人かいるのだという。まず荒浜の方に行って海岸を見て慰霊碑にお参りしてから、畑に来る人も多い。
「その様子を見ていて、ああ復興というのは気持ちの問題なんだなと思ったね。そんな風に懐かしいふるさと、心のふるさととして戻って来てもらえるような農地のあり方、戻ってここの土に触れたいという思いは、ずっと大切にしたいと思うし、そういう思いは後の世代にも残していかなければとつくづく思うね」
若手が自分たちのやり方で取り組む農業
「若い人たちに繋げていくための準備は、ずっとしてきている。若い世代が新しい工夫をして、自分たちのスタイルで新しい営農を引き継いでいってくれればと思っている」佐々木さんはほ場整備された後のこれからの農業の姿をそんな風に思い描いている。
組合の構成員としては、佐々木さんともう1人の理事の子ども世代が40代。あとは社員としてもっと若い世代も育ってきている。「理系の大学を卒業後ここで2年間研修して、3年目から組合の社員になった人がいる。それから仙台のIT企業で働いていた人が2年間研修を受けた後、組合の農地のハウスや使っていない施設を自由に使って作業をしてもいいよと言ったら、今は認定新規就農者になって一生懸命がんばっている」この組合が若手養成の役割を果たしていて、そういう人がだんだん育ってきている。再生した農業の、これも一つの大きな実りだ。
「若いと発想が柔らかいし、吸収も速いので、感心する一面もある。この地区にも個人の新規就農者がいるけれども、今はみんな最初から6次化を狙っているね」と佐々木さん。「若い人にここで研修してもらって、それぞれの適性で、新しい水田農業にチャレンジしたり、大豆をやったり、野菜をやったり、加工品をやってもいいし、地域の中でそれぞれバランスを取りながら仕事ができるようになるといいのでは」と、佐々木さんは考えている。
現在は75ヘクタールの農地を管理する仙台イーストカントリー
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明日に続く農業の姿を求めて
佐々木さんは、できるなら65歳で組合を引退して次の世代に渡そうと考えていた。しかし「組合の営農というのは、農業という面とともに経営なのね。結局、投入した自己資金も多額になっているので、もう少しわれわれの代ががんばって返済の目処が立たないうちは、引き継ぐのは難しい」と佐々木さんは語る。
米の生産とともに加工品や調理品を提供していくという6次産業化の方向性は固まったので、その方向性の中で安定的に収益を残していく体制をつくって、再生した農業を新しい時代につないでいくことが、現状の課題だ。組合の若手によく話すのは「われわれは行政に支援してもらったんだから、機械が壊れたからもうやめます、とか大変そうだからやめますでは済まされない。この組合のことだけ考えていてもだめで、この地域全体のことも視野に入れないとね」
地域の復興という大きな目的のために、何十軒からも預かっている農地での農業をこの先も続けていくための使命感、覚悟。それをすぐに若い世代に持てと言っても無理だということは佐々木さんも承知している。自分自身も震災以降、すべてを投げ出したくなるような難題に何回も向き合ってきた。「何回も何回も、何回越えたかわからないほど、ハードルばかり越えてね、俺、波乗り上手くなったと言っているんだ」と笑う。「それでも、1つ波を越えればまた違う波が来るから、それを予知しながら準備しておかないと持っていかれてしまう、要はどこを目標にしてやるかということだ」と話す。
「ずっと先の終着点は後々の世代が考えればいいけれども、この復興の次の行き先としては、われわれ農業に携わる者が、農業者の誇りと喜びを持って、長くどこまでも農業者として頑張っていけるような姿にしたいな」というのが佐々木さんの想いだ。
再生した農地で生まれた実りから、さらに明日に向かう大きな希望が生まれている
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