STORY 02

学びから得られた目標を目指して
土から育てる野菜づくり。

健康な土を丁寧に育てることから

佐藤さんは、実家での週末農業の取り組みと大学院での学びから、農地について1つの考え方を持っていた。それは「健康な土で健康な野菜を育てたい」ということだ。「実家の畑で農業を始めた時に自分は元気を取り戻すことができましたが、その当時は健康に育った野菜を食べることが自分の健康につながると考えていました。実際に就農を始めた時には、これから自分だけではなくて、多くの人に届ける野菜をつくるのであれば、まず健康な土を育てたい、そして健康な土から健康に育った野菜を食べてもらいたい。そんな思いになっていました」
佐藤さんが就農を始めた段階では、仙台市東部沿岸地域の除塩・復旧工事は終了していたが、栄養分が少なく、工事の時に土が踏み固められていて、荒れた状態であり、すぐ作物が育てられるわけではなかった。「まずは健康な土にしたい、という思いで畑仕事を始めました」

こまめに土の状態を見ながら、必要に応じて土壌改良剤を使い、肥料は主に堆肥を用いた。「固くなった土を改善して水はけのいい、空気もよく通る土にするためには、土を耕すだけでは不十分なんです。土の中にいろんな土壌生物や微生物が棲むようにならないと、豊かな土壌にはならないです。その小さい生き物たちとその糞などが土の中で空気の粒のような状態になってくると、自然に土はふかふかになります。だから、そういう土壌生物のエサになるような肥料を使わないといけないわけです」

このため佐藤さんは、化学農薬や化学肥料を使わず、有機肥料を使う栽培法にしている。堆肥のほか、納豆菌・乳酸菌などの微生物を使って米糠などの有機物を発酵させた肥料も使った。畑に植えた植物を肥料として土壌に入れたまま耕す緑肥という栽培法も試してみた。就農を開始した佐藤さんは、土を育てることから取りかかり、多様な作物を栽培しながら、また土を改良していくという試行錯誤を繰り返してきた。土壌の改良は長期間にわたると言われるが、修行のつもりで実行しているという。

障がいのある人の研修の場として

佐藤さんは新規就農によって、自らの農業に対する考え方や目標を一つひとつ実行に移していった。かつての職場で、障がいがあるために苦しんでいる人、引きこもってしまいそうな人たちを畑に連れて行って一緒に農作業をしてみようと思い、その準備を、就農後さっそく始めた。障がい者施設やNPO団体と連絡を取り合い、実際に悩みを持つ人に会ったりした。
「そのなかで感じたことは、障がいのある人たちは、『障がいがあってもやりがいが感じられる仕事をしたい』と思っているということでした」土に触れ、種を蒔いて、作物を収穫する、うれしさ。「自分がいつも感じている畑仕事の素朴な面白さは、障がいのある人もきっと感じてくれるはずだし、収穫は、もっといいものをつくりたいという次の年へのやる気も生み出してくれる」と佐藤さんは考えた。何より、畑で仕事をすれば、あの時の自分のように悶々とした悩みから抜け出して、元気になれるのではないか。

そのためには、実際に畑に来てもらって農作業を体験してもらうのがいちばんいいと思った。いくつかの障がい者施設と、雇用または就労に向けた訓練と研修を行うという提携を実施することにした。例えば1つの施設から毎週4、5人に来てもらって、種蒔きから収穫まで佐藤さんが指導しながら、一緒に農作業を行うというもの。佐藤さんには、言語聴覚士として障がいのある人と向き合ってきた経験と実績がある。どのような指導をすればいいのか、どんなことを体験してもらいたいのか、先方の施設の考え方、研修生の一人ひとりの個性に合わせて対応の仕方も変えるようにしている。だから、話し合いをするときに、よく相手の話を聞く。その上で、とりあえず畑に出て、やってみることも重要だ。そうして続けているうちに、歩くのが苦手だった人が歩けるようになった、話せなかった人がコミュニケーションをとれるようになった、などうれしい反応が返ってくるようになった。その後、佐藤さんの農地でスタッフとして農作業を行う人も出てきた。

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福祉施設から農業を体験しに来た人たちと一緒に畑仕事を続けた

地域の未来を託された農地で

就農後、畑仕事をしていると地元の人から声をかけられることが多くなった。新規就農者だからということと、施設からの研修生と一緒に大声を出して笑って作業をしているので、物珍しかったということらしい。野菜を買いに来てくれる人も出てきた。せっかく復活した農地でおいしい野菜が採れるなら、市場みたいなものをやってください、という声もあったので「ビニールハウスの中に野菜を並べただけですけど、“畑 de マルシェ”というイベントを始めたんです。これは私たち生産者と消費者の交流の場となりました」マルシェへの来客者は、地元の人だけでなく街なかの人がわざわざ岡田まで買いに来てくれるケースも多かったため、後に定禅寺通近くのパン店と提携してそこにも出店するようになった。

就農してからしばらくは佐藤さんの個人営業だったが、農地の作付面積が増え多品種の野菜を栽培するようになり、また研修生の受け入れや雇用に関しても、きちんとした経営的な責任を持たなければいけないのではと感じて、2017年に販売担当者を加えて2名で法人化した。名前は株式会社MITU。「畑から元気を届けることをコンセプトに活動し、野菜や農園を通してみんなの心や身体を満たしたい。そんな想いから“満つ”と名付けました」
就農を開始した当初の作付面積は470アールに過ぎなかったが、2017年に法人化した時は約1.3ヘクタールとなった。2018年9月には、津波で被災した地域が居住禁止区域になり、住民が集団移転した跡地を農地などとして利活用する「仙台市集団移転跡地利活用事業者」に選定された。「市長から直接認定書をいただき緊張しましたが、これからますますがんばっていかなければと、思いました」
跡地利活用事業の開始により、今までの岡田地区に加えて南蒲生地区などにも農地が増える。2021年度には、合計約4ヘクタールになる見込みだ。震災前は、この地に多くの農家や住宅があった。地域の未来を託されたこの土地で、これから新しい農業が始まろうとしている。

佐藤さんの畑では、多品種の作物を栽培している。就農当時から、土壌の改良対策とともに、多くの種類の作物を栽培して、土との相性を判断したり、作物同士で栽培時期を調整したり、さまざまな工夫を重ねてきたからだ。現在では、ニンジン、サツマイモ、落花生、ヤーコンなどを定番として、年間50種類程度の野菜を育てている。
一方でキビやトウモロコシの仲間のスイートソルガムの栽培という特徴的な取り組みも進められている。「乾燥に強く、塩害など条件のわるい土地でも成長できるし、茎に糖分を蓄えるので、甘味料の原料になります。緑肥として使うのにも適しているなど、作物として非常に有用な特徴を持っています」と佐藤さん。今このスイートソルガムの茎からソルガムシロップを抽出する商品開発を進めていて、いずれは農業経営の1つの柱にしたいと佐藤さんは考えている。

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宮城野区岡田地区の畑のビニールハウスで始めた“畑 de マルシェ”
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販売担当社員を加え、法人化を行った
STORY 03

ソーシャルファームの役割を見つめ、
地域の明日に大きな希望をつなぐ。

畑のソーシャルファームを見つめて

佐藤さんにとっての農業とは、昔、自分が社会的に孤立していた時に変わるきっかけになった、原点のようなもの。だから同じような悩みを抱えている人、引きこもってしまった人、障がいを持つ人たちに、その農業の中に入ってもらい、何かが変わるきっかけを見つけてほしい。「そういう人たちの働く場、やりがいを持てる場、交流のある場として、ここの畑があります。働いた分は、しっかり給料として払うことができる状況をつくっていく必要があります」

佐藤さんが思い描いているのは、ソーシャルファームというビジョンだ。ソーシャルファームとは、障がいのある人や何らかの理由で働きたいのに働けないでいる人たちを受け入れて、ともに働く社会的企業のことで、新しい就労形態として注目されている。ソーシャルファームの課題としては、たとえば就労に向けての効果的な支援・訓練が少ない、訓練という位置づけで低工賃となっている、などの事例が見られるという。受け入れ側としても、自然環境に左右され、経験に基づいた臨機応変な技能や知識が求められる仕事は適さない、季節性が高く量産でコスト競争するような生産には適さない、などの課題があると言われる。
佐藤さんは「大変な面は確かにあるとは思いますが、障がいのある人もない人も自分の何かが変わるきっかけをつくることが基本、と考えれば、畑仕事にはいいこと、楽しいこと、面白いことがたくさんあります」と話す。一緒に土いじりをしていると、笑ったことなどなかったような人が、満面の笑みになる。「そういう顔を見るのが、いちばんうれしいです」

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福祉施設から8名ほどのスタッフを受け入れているほか、大学生のインターンも2名研修に来ている

笑顔や賑わいのある田園風景を取り戻すために

みんなで農作業をしていたら、地元の人に声をかけられるようになった、と佐藤さんは話した。その時、佐藤さんはこれから先のこの地域のことを思っていた。「あの人たちは、みんな昔はここに賑わいがあったことを知っているんです。岡田でも、これから農地ができる南蒲生でも、農地ができてそれで終わりではないんです」

ほ場整備されて畑で作物を作れるようになった。宅地だったところが農地になって使わせてもらうことができる。それはそれでありがたいことだけれども、佐藤さんはそこから先のもっと先を見ている。あの時、声をかけてくれた人は「農地はできたけれども人がいなくなったと思っていたここで笑い声が聞こえたから、昔を思い出して涙が出るほどだった」と話した。子どもの頃、からだにしみ込んだ田園の原風景には、田んぼや畑があり、そして家族がいて、近所の人がいて、笑顔があった。

祖父母の時代、父母の時代、そして今の自分と、変遷してきた営農のかたちを、この先どのように方向づけていけばいいのか。「ソーシャルファームという道筋を模索しながら、この畑で仕事をすると笑顔になる、元気になる。そんな農業のあり方を見つめていきたいと思っています。障がいのある人もない人も、みんなここで働いて、交流して、地元の人たちとも声をかけあって、新しい村のようになるといいね、とみんなで話しています」そんな笑顔の輪が少しずつ広がって、きっといつか賑わいのある地域になっていく。

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農業に飛び込んで本当によかった、これから農業を通して地域をもっとよくしていきたい、と佐藤さん