キーパーソンインタビュー

畑と野菜から元気が生まれる、
笑顔に満ちた明日を信じて。
株式会社MITU 代表取締役 佐藤 好宣さん

かつて自分が苦しみのなかにいた時、畑仕事をすることで立ち直ることができた経験から、震災後に前職をやめ、沿岸被災地域での新規就農に果敢に挑戦した。元気な土を一から育て多くの野菜を収穫できるまでになったが、佐藤さんはこれから先、障がいのある人たちとともに働くソーシャルファームのあり方を目指し、地域の中に畑を起点とした賑わいをつくろうと、力を尽くす。

STORY 01

ゼロからスタートするなら
人を元気にできる農業を始めたい。

東日本大震災の津波により、仙台市東部沿岸地域の広大な農地が被害を受けた。ガレキと海水に埋め尽くされた農地を目のあたりにして、この地での農業再開を絶望視している人が多かったなかで、まるで流れに抗うかのように新規就農を決意したのが、佐藤さんだ。

話せない人の言葉を聞く仕事

震災前、佐藤さんは介護施設でリハビリテーションの仕事に従事していた。言語聴覚士という国家資格のある専門技術職だ。もともと大学時代に発達障害のある子どもと関わるボランティアをしていたことがきっかけで、言語障害に関心を持ったという。言語聴覚士は、脳や神経の病気で、話したり聴いたりすることに困難をきたした人の支援やリハビリを行う。聴覚や言語機能の障がいを持つ人と接するので、心理学的な知識や技術、加えて繊細な心配りや相手が表現したいことをくみとる洞察力が大切になってくる。

仕事を続けているなかで、病院やリハビリ施設から退院したあとに行き場がなくなり、引きこもってしまう人が多いという現状を知った。「働きたくても障がいがあるために働き口がみつからない人、自身の障がいを知られたくなくて引きこもってしまう人、生きがいを持てずに毎日閉じこもってしまう人。苦しい思いをしている人たちが、どんなことを話したがっているのか、手探りの日々でした」

心身を癒してくれた畑仕事

佐藤さん自身も、20代のころに交通事故に遭い、数年間、頭痛や吐き気、手足のしびれなど後遺症に悩まされた。「症状があって苦しんでいるのに、精神的に病んでいるだけではないかと理解してもらえず、そのことで余計に心身ともに疲弊しましたね。なんというか、社会的に孤立した状態でした」
佐藤さん自身は、その苦しみから抜け出すことができた。そのきっかけになったのは、畑仕事だった。

佐藤さんの実家は、宮城野区岡田地区にあり、曽祖父の代は専業農家だった。親世代になると兼業農家になった。田んぼは1ヘクタール程度で、地域の組合に営農を委託。「畑が15アールくらいあって、家で食べる分の野菜を少量多品目で育てていましたね」佐藤さんは子どもの頃、この身近にあった畑で遊んでいたので、畑や土の感触、田園風景が原体験として自分の中にしみ込んでいた。学生時代から家を離れていたが、自分が苦しい時にふと思い立ち、実家の畑に行ってみようと考えたのだ。

佐藤さんは実家の畑を借りて、週末農業をやってみることにしたのだった。この畑仕事が、疲弊していた心身を大きく癒してくれることになった。そこには海にほど近い大地の明るい陽射し、心地よい風、土の匂いがあった。家族と他愛もない話をしたり、同僚や友人が週末に訪ねてきて話をすることも増えた。「畑で作業をしていると、知らないうちに体をたくさん動かすので、自然と関節や筋肉がほぐれ、体力もついて、症状が和らぐようでした」
この体験があったので、職場の施設で苦しんでいる人、引きこもってしまいそうな人を実家の畑に連れて行って一緒に農作業をしてみようか。そんなことを考え始めていた時に、震災が起きた。

Photo
週末農業をしていた時、青空の下で土にまみれて夢中に畑仕事をするうちに、自然に気持ちが和らいだ

人生一度きり、やり直すなら農業と決めた

仙台市東部沿岸地域は押し寄せた大津波により甚大な被害を受けた。佐藤さんは利府町の職場にいて地震に遭った。実家の家族は、避難所に指定されていた小学校に逃げて無事だったが、実家の住宅と農地が、津波に襲われた。最初に岡田地区に来てみたとき、農作業をしていた畑も、田んぼも、何もかも変わり果てた姿になっていた。ガレキや松の木が横たわっていたり、所々津波で土がえぐられたりしていて、農地の原型をほとんど留めていなかったという。 途方に暮れたが、黙って時が経つのを待つ気もなかった。佐藤さんは週末農業を続けているうちに、あらためて農業が好きになっていた。すべてゼロになり、自分の生活をそこから築き直していこうとしたときに「人生一度きり。自分のやりたいことをやろう!」と強く思い、就農の道を目指すことにした。「農業の中でも自分がやりたい方向性があったので、家業を継ぐということは考えませんでした」

就農の準備に専念するため職場は退職した。「みんなと一緒に農作業ができるような農業を新しくつくりたいんです」と職場には話をして理解を得た。独立就農に必要な知識や技術を身につけ、目指す方向性を確認するため、宮城大学の大学院に入り作物栽培学を専攻した。2014年春に新規就農認定を受け、農業を開始した。就農することで、行政から様々なサポートを受けることができる。「言ってみれば農業における起業ですね。私は31歳でしたが、最近では、もっと若い人で新規就農するケースが増えて来たようです」と佐藤さん。

Photo
あらためて農業が好きだと感じ、人生やり直すなら農業と決めたと、佐藤さんは振り返る