キーパーソンインタビュー

復興や発展、あらゆる可能性を秘めた
官民連携による未来の「まちづくり」
一般社団法人 荒井タウンマネジメント 理事・事務局長 榊原 進さん

荒井東地区のまちづくりに震災前から携わってきた榊原さん。
震災直後はどこよりも早く復興公営住宅の土地確保に着手し、「防災・減災拠点ゾーン」を街の中心部に設けるなど、震災復興の先導地区としても注目を集める荒井東地区のタウンマネジメントを担っている。
そんな榊原さんに、復興後の未来を見据えた新しいまちづくりの構想について聞いた。

STORY 01

一面田んぼのエリアを市街地に。
長期にわたり取り組んだまちづくり計画。

「荒井タウンマネジメント」の母体である「荒井東まちづくり協議会」、さらにその前身である「街づくりを考える会」が誕生したのは2004年のこと。仙台市地下鉄東西線の開通計画が持ち上がったことからまちづくりの話が発展し、2005年には最初の地権者集会が開かれたが、その頃はまだ具体的な事業区域は確定していなかった。その後、様々な経緯を経て「荒井東まちづくり協議会」と名がついたのは2012年だ。
「荒井東地区は、昔は田んぼが一面に広がる地帯でした。今でも『あの荒井に街ができているの?』と驚かれる方もいるくらいです。私は2009年からまちづくりに参加していますが、当初はここまで壮大なプロジェクトになるとは予想していませんでした」
榊原さんの師である故・大村虔一氏(元東北大学教授、都市デザイナー)のもとへ、土地区画整理組合からまちづくりについて相談を持ちかけられたことをきっかけに、協議会による勉強会への参加や、内容の取りまとめを担当するようになる。土地区画整理事業とは、平たく言えば土地所有者が土地を提供し合い、再分配すること。多くの場合、道路や公園を整備し、確保した保留地を売ってしまえば終わり、組合は解散となる。しかし、榊原さんたちは、新たな市街地づくりをしていくにあたり「地域住民とまちづくりの構想を共有すること」を念頭に置いた。
「街にただ道路や公園を作って終わり、というやり方は、一方通行になりがちで、チグハグな街になることもあります。過去の経験からその教訓を得ていた私たちは、住民の方々にまちづくりに参加していただくこと、そして参画を希望する民間企業との連携が不可欠だと考え、積極的に話し合う場を設けました」

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荒井東地区は、JR仙台駅から東へ6キロ。かつては水田を中心とした農地や農家住宅、作業場などが混在したエリアだったが(写真左)、2014年(写真右)には区画整理が進み、まちづくりが始まった。

震災後、復興公営住宅を早期に整備

仙台都心部から地下鉄東西線を使って約14分。アクセス抜群の荒井駅を最大限に活用するためのまちづくり計画は、決して順風満帆ではなかった。
最初に立ちはだかった壁は、2008年の「リーマン・ショック」だ。世界的に経済が冷え込み、その影響から土地区画整理組合に対する金融機関の評価が厳しくなり、仙台市へ資金調達の確実性を示すことに苦心したという。
次に現れた壁は、まちづくり計画全体の方針にも影響を及ぼした。2011年に発生した、東日本大震災である。組合が設立し、さあこれからというところでの大地震。津波は荒井東地区の直前まで迫ってきていたものの、仙台東部道路のおかげで水がせき止められ、大きな被害は免れたことが不幸中の幸いだった。しかし、予定していた工事は1ヶ月ほど中断せざるを得なかった。それどころか、被災し、家を失った方々のための住宅確保が何よりの急務となる。
「震災前から土地区画整理を進めていた荒井東地区には、もともと市営住宅用地が確保されていました。区画整理組合では、そこを復興公営住宅用地として、当初の計画を前倒しすることにしました。たしか震災から一週間ほどで、仙台市に働きかけたと記憶しています。2014年には復興公営住宅が完成し、入居が始まりました」
荒井東地区の南側から、いち早く復興公営住宅の建設に動き出し震災前から整備を進めていたことで、どこよりもスピーディーに復興支援へと乗り出すことができた。

震災を経て加わった「防災・減災拠点ゾーン」

荒井駅周辺から開発する計画になっていたまちづくりは、震災発生により住宅地の確保が最優先となったことで、反対の南側から手をつけていくことになった。
「住宅だけではなく、被災した特別養護老人ホームの移転再建などの受け入れも早々に行いました。駅周辺の換地も同時進行でやっていたので大変でしたが、多くの企業が復興に協力したいと申し出てくれたこともあり、結果として資金面でも大きく前進することができました」
そして、まちづくり計画に震災前にはなかった新たな方針が加わる。荒浜などの災害危険区域で被災した方々の居住地の移転先確保のほか、警察署・病院・公園・ライブホールを街の中心に配置した「防災・減災拠点ゾーン」の設置だ。屋外・屋内避難場所の確保、食料と水の備蓄確保といった災害対策を強化し、周辺地域からの避難に対しても配慮する仕組みを整えることにした。区画整理事業としての大きな方向転換ではなく、より住みよく、安心できる街にするための追加要素としての取り組みだ。 また、本当の意味での「防災・減災のまち」を目指すには、町内会やテナント同士の連携など防災コミュニティを形成していくことも重要。そのコミュニティ形成を促す土地利用も計画に加わった。良くも悪くも「震災」が大きな転換期となったわけである。

協議会からタウンマネジメントへ

区画整理と並行し、「荒井東まちづくり協議会」では着々とまちづくり計画が話し合われていた。計画がある程度まとまってきた2013年、具体的な事業を推進していくため、「(一社)荒井タウンマネジメント」が設立される。これまで協議会の事務局として関わってきた榊原さんは、仙台市との調整を一手に担い、引き続き組織の中心となって動いていく。
「区画整理が終わったら後は各民間企業にお任せではなく、協議会で話し合われたまちづくりの計画を実行に移さなければなりません。まちづくり全体を管理する、いわゆる『まちを育てる』組織が必要なんです。『荒井タウンマネジメント』はそれを担う組織です。協議会と少しオーバーラップしながら活動を開始し、協議会が2015年に解散した後はタウンマネジメントの活動が主軸となりました。メンバーは荒井東のまちづくりに、ずっと関わってきた有志の方々、そしてここから新たに加わった方々もいらっしゃいます」
各民間企業が目指す事業性や、個人地権者の考え、震災復興と防災・減災の課題、地下鉄東西線開業への期待…。様々な意見や理想が反映された荒井東の「まちづくり基本計画」がいよいよ実現に向けて動き出した。

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「2013年に具体的なまちづくり計画が策定されてから、その実現に向けて奔走する日々が始まりました」と榊原さん