「3.11オモイデアーカイブ」の
2つのメインコンテンツ。
戦災復興の手法を震災に生かす
3.11オモイデアーカイブは様々な取り組みを行っているが、中心となるコンテンツは2つある。津波で被災した仙台市内の沿岸地域を巡り交流を図る「3.11オモイデツアー」と、震災前と今、震災直後と今を定点で撮影する「3.11定点撮影プロジェクト」だ。この2つのプログラムを進めながら、佐藤さんは3.11前後のまちの記録や人々の記憶・体験を活用するアーカイブに取り組んでいる。
「せんだいメディアテークと協働で2012年5月から3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン『みつづける、あの日からの風景』の開催を始めました。写真を撮影した当人が写真を公開しながら語っていただくサロンで、ここから多くのヒントが得られました。まちが変化した様子を見てもらうため、『もう一度見てみよう3.11ツアー』を学生と一緒に実施したり、さらに、沿岸部のまちを巡る巡回型ツアーから滞在型ツアーへ転換することで住民との交流もできるのではないかと考えるようになりました」
佐藤さんは仙台の出版社「風の時編集部」の代表も務めている。長年にわたり仙台の古い写真を集める中で、仙台市の戦災復興にとりわけ興味を持ったという。「戦後の様子を撮影した写真、被災した人たちの体験談、地名や建物の位置関係を示した地図、どのように変化していったかが分かる定点撮影、年表、これら5つの要素を組み合わせることで、戦後復興の実態が浮かび上がってきました。平面情報と時間軸を交差させることにより、戦災を経験していない自分でさえも当時の様子がおおよそつかめるようになったのです」
戦災のこの手法を震災アーカイブでも活用できるのではないか、と佐藤さんは思い始め、2012年に「3.11キヲクのキロク」を、2013年には「3.11キヲクのキロク、そしてイマ。」を企画・製作・編集した。震災の中の暮らしぶりを写し取った写真を中心に構成され、震災は100年後でも自分事であり続けてほしい、との強い思いが込められた記録集となった。
2012年10月27日に開催された第4回公開サロン「みつづける、あの日からの風景」
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記録することで人の心に残していきたい
たくさんの資料を集めている側としての信念が佐藤さんにある。「被災地は自然に元には戻りません。時間の経過に伴い同じ場所がどのように変わっていくかを撮影する3.11定点撮影プロジェクトにより復興の歩みが見て取れるようになります。震災に関して記憶の風化が指摘されますが、風化するから記録することが重要なんです」
3.11定点撮影プロジェクトのような取り組みはひとつの団体で関わるべきではない、というのが佐藤さんの持論だ。「震災は市民全員が経験しました。市民協働という言葉通り、被災した皆が関わることができる。例えば沿岸部の人は他地域の人への気兼ねや遠慮があって、なかなか語れなかったりするもの。そのような課題を解決するためにも、関わる人をできるだけ増やしていくことが大切です」
その傍ら、震災から10年が経過しようとしている現在、今だから語れる人が現れ始めている。「3.11オモイデアーカイブは、そういう方々の受け皿になれるといい。例えば3.11オモイデツアーでは、震災前の生活について地元の人に語ってもらうことで、現在は見えなくなってしまった過去の風景写真と合わせて、参加者が当時をイメージできるよう考えています。VR等で可視化できないものであっても、人の心にじんわり残るものであればいいと思っています」
2016年12月11日「3.11オモイデツアー」の様子
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2017年6月10日「3.11オモイデツアー」の様子
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未来につながる交流を育てるために
楽しみながら地道に活動を展開する。
継続し共感が得られる活動を
震災直後は「絆」や「つながり」といった言葉が飛び交った。しかし、重要なのは実際に何をするかだ。「取り組みは数人レベルの小さなものだっていいんです。活動が長く続けられて、共感を得られることこそ重要なのだと思います。いろいろな人のアイディアが集まって、活動を楽しむ人が増える。これが未来につながる交流を育んでいくと信じています」
ある日、一緒に活動を行なっているスタッフが「沿岸部に親戚ができたようだ」と表現したことがありました。「私たちは時間をかけて、土足で人の家に上がり込まないよう心がけてきました。地道に信頼関係を築き上げた、これもひとつの成果。希望が感じられる言葉でした」
大雨や台風など大きな災害が頻発する時代にあって、3.11オモイデアーカイブの取り組みは今後他の地域でも有効に活用されるだろう、と佐藤さんは期待を寄せる。「岩手県大槌町の高校生に代々写真を撮ってもらい記録し続けている大学の先生もいます。県内で同じ意識を持って定点撮影を行っている方々がいて、彼らとは交流を重ねています。地元の大学・高校の写真部の生徒たちなどとも接点を持つことができれば良いですね。語り部の話に耳を傾けるのと違い、実際に自分の目で見た時に何を思いどう感じるのか、修学旅行に被災地ツアーがあるのですから、若い世代の皆さんと定点撮影ツアーを実施するのも良いでしょう」
定点撮影(仙台市宮城野区) 2011年3月14日、臨海線の軌道上に津波で流された車(提供:桑村和宏さん)
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定点撮影(仙台市宮城野区) 2020年10月25日の同じ場所で佐藤さんが撮影した風景
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交流がある間、まちは生き続ける
2020年、3.11オモイデアーカイブは新型コロナウイルスのため、活動を自粛せざるを得なかった。この現実を佐藤さんはどう受け止めているのだろうか。「今は無理する必要はないと思います。従来のように参加者が大勢集まることは難しいでしょうね。今後は屋外ツアーにシフトするなどして、少人数で行なっていくことになるのかもしれません。世の中がどのような状況になっても、私たちに課せられたミッションは変わりません。地元の方々と市外・県外からの訪問者とのあたたかい交流。そして、こじんまりとでも地域の記録を撮り続ける、これに尽きますね」
海辺のまちが、あの日を境になくなってしまった。しかし「交流がある間は、まちは生きている」と佐藤さんは言う。「かつてのまちの姿は失っても、頭に浮かぶイメージは伝えられます。私たちの取り組みは裏方に徹することも大切。メインとなるのはあくまでも地元の人たちなのですから」被災地や被災した人々のサポート役に徹し、3.11オモイデアーカイブの活動は新たな展開を模索しながら、これからも着実に歩み続けていくことだろう。
2019年7月7日、標高3m日本一低い日和山登山を楽しむ参加者(主催/中野ふるさとYAMA学校 協力/3.11オモイデアーカイブ)
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