キーパーソンインタビュー

3.11から始まる、
まちと人のオモイデをキロクする。
3.11オモイデアーカイブ 代表 佐藤 正実さん

震災によって失われたかに見えるふるさと。しかし、震災を契機に、私たちは住むまちの成り立ちや歴史、人の思い出の大切さに改めて気づかされた。未来のまちを思い描く上で地元の良さを知ることから始めよう。そう考え生まれたのが3.11オモイデアーカイブだ。2016年に設立され「3.11から始まる、まちと人のオモイデをキロクする」をテーマに、市民協働でアーカイブ活動を繰り広げている。

STORY 01

被災直後の生活に焦点を当てた写真で
記憶を育て、終わらないアーカイブを。

書店や新聞で、大正・昭和時代の古い街並みを写した写真をよく見かける。多くの写真は、佐藤さんが副理事長を務める特定非営利活動法人20世紀アーカイブ仙台が発表・提供したものだ。貴重な資料を収集することによる多くの気づきが、3.11オモイデアーカイブへとつながっている。

写真や映像をどう生かすか

「思い出」という個人的なものを記録し、共有・普遍化していくことで今の人にもリアルに伝わり、交流が生まれることを目指し、2009年6月にNPO法人として20世紀アーカイブ仙台は立ち上げられた。「市民生活の中には、公になりにくい個人の記録がたくさんあります。でも、写真も8ミリフィルムも、個人的な記録になればなるほど地域性に関係なく人々に共感されやすいことに気がつきました」 20世紀アーカイブ仙台は2010年、「クラシカル センダイ」というDVD付きの写真集を出版した。1950年から仙台市電が廃止される1976年まで、仙台市民が撮影した写真と8ミリフィルムを元に、昭和時代の懐かしい仙台をまとめている。「収められている写真は一般家庭で撮られたものばかり。子どもの成長記録や家族旅行などです」
20世紀アーカイブ仙台に写真や映像素材を提供してくれる人がいる。それらをどう生かすかを、佐藤さんは考えている。「写真や映像は目に見えるカタチで活用しなければなりません。DVDの収録時間を45分に設定したのも、学校の授業に教材として利用できるよう考えたため。子どもの郷土学習や世代間のコミュニケーションツールとして、アーカイブ活動の果たす役割は大きいと思います」

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提供された貴重な資料を生かしていきたい、と抱負を語る佐藤さん

震災がもたらした運命的な気づき

発災直後、佐藤さんはある巡り合わせを体験した。「20世紀アーカイブ仙台がみやぎNPOプラザにアンテナショップを出店していた時、阪神・淡路大震災の記録についてふりかえる本を見つけました。当時は今と違いデジタルカメラは一般的ではなく、スマートフォンもない時代です。発災から5年経過した2000年に写真の収集が始まったため、どこで撮られた写真なのか、いつ撮られた写真なのかがわからない。つまり、記録するにはできるだけ早い方がいい、ということに気づきました」
もうひとつ、佐藤さんが気づいたことがある。集めるべき被写体だ。「発災後、停電でテレビは見られず、ラジオは原発事故一色の報道。身近な情報源は近所の皆さんの口コミとツイッターしかありませんでした。特に、ツイッターには被災直後の暮らしぶりが画像共々上げられていました。もしかすると、東日本大震災という大きな災害で集めるべき素材はこれなのかもしれないと思い、発災後の3月22日にツイッターで画像提供を呼びかけました。私の呼びかけは河北新報が記事にしてくれたことで一気に拡散。2011年4月にはウェブサイトを立ち上げることができました」

当時、連日マスコミが取り上げる震災の風景は、巨大津波により壊滅したものがほとんど。一方で、佐藤さんは「被災直後の生活が分かる」画像にこだわった。「真っ暗な家の中でロウソクを灯して食卓を囲む家族、炊き出しの風景等々。報道のカメラがなかなか入ることができない各家庭の中にこそ、被災直後の生活として残すべき資料があるという思いで収集に取り組みました」
活動に手応えを感じた佐藤さんは、生活者視点を持つ市民自らが「アーキビスト(記録をする人)」となり「ユーザー(記録を使う人)」となることで、3.11前後のまちの記録や人々の体験を収集・保存・編集・記録、そして失ったふるさとを伝え残す「記憶を育てるアーカイブ」、定点撮影で震災後を記録し続ける「終わらないアーカイブ」を実践。震災から5年目となる2016年に震災アーカイブ部門を独立。名称を「3.11オモイデアーカイブ」と改め、市民団体として新たなスタートを切ることになった。

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2011年3月14日 停電の中ろうそくを灯して夕食(提供:木谷智寿さん)
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2011年3月15日 食料品がまったく置いていない店内(提供:篠原治樹さん)