キーパーソンインタビュー

復旧から復興へ、そして地域おこしへ、
本質的な課題解決を目指して。
一般社団法人ReRooリルーツts 代表理事 広瀬 剛史つよしさん

震災からわずか1か月で震災復興・地域支援のボランティア団体「ReRoots」を大学生とともに立ち上げた広瀬さんは、様々な活動を通じて発見した、若林区が抱える本質的な課題の解決を目指して活動する。 「復興がゴールではない」と強く訴える広瀬さんが見てきた若林区の10年、そしてこれからの10年で目指すべき未来とは。

STORY 01

大学生たちの思いを受けて、
ボランティア団体を発足。

仙台市若林区のボランティアハウスを拠点に、農業を主軸として多岐にわたる活動を展開しているReRoots(リルーツ)。その発足は震災直後の2011年4月18日だ。東北大学川内キャンパス近くにある川内コミュニティセンターに避難していた広瀬さんは、そこで知り合った東北大学の学生たちとともに仙台市のボランティアセンターに登録し、被災地ボランティアへ出向くようになる。しかし、ボランティアに参加していくうちに現地で様々な疑問や不満を抱いたという。
「ボランティアセンターには人も物資もたくさんあるけれど、マッチングに時間がかかりすぎてなかなか現場に行けず作業に取りかかれない、臨機応変に動きたいのに融通がきかないなど、効率の悪さを感じました。また、各地から様々なボランティア団体も来ていましたが、彼らはスピード感もあって一生懸命なのに、目の前の作業が目的になってしまい、どうしても場当たり的な活動になりがちでした」純粋な学生たちは、広瀬さんよりもずっと強く違和感を抱いていた。「被災者が求めていることは本当にこういうことだろうか?」「もっと本質的な支援が必要なのでは」このような思いを持った学生たちから相談を受け、被災者にとって本当に必要なサポートはどのようなものかをとことん話し合った。学生自身も被災を経験しながら、この議論は震災後間もない3月末に行われ、「それならば自分たちでやりたい」と、震災発生から約1ヶ月後にボランティア団体を立ち上げる。広瀬さんは代表として、大学生の活動を支えていく立場となった。

相手の目線に立ち、生活を取り戻す

「私たちはボランティア活動を行う中で、被災者の方々の目線に立つことが大切だと感じていました。被災者の生活を取り戻すために、目先の復旧作業だけではない、長期的なプランが必要だと思ったのです」
そこで着目したのは、仙台市若林区の農業だ。沿岸部にある若林区は、農業を生業にしている住民が多い地域。被災地ボランティアの尽力で家屋の泥出しやガレキ撤去が進み、居住エリアはきれいになったものの、彼らの仕事場である畑や田んぼは手つかずのままだった。広瀬さんたちは、まずは「農地のガレキを撤去する復旧支援」、そして「復旧した後の営農再開の復興支援が必要」だと感じたという。
「復旧作業が済んだらボランティアの人たちはもう来なくなってしまう。本当の意味で被災者の方々の生活を取り戻すためには、農業と農村の再生が必要なのではないかと思いました」
仙台市内に住む学生たちが自転車で通える範囲にあり、一時的なものではなく継続的に活動を続けられるところも若林区に拠点を構えた理由のひとつ。ReRootsは2011年7月、若林区にボランティアハウスを設立し、本格的に活動を開始した。“Re”は復興を、“Root”は地域に根付く、“s”は仙台を意味する。また、Re(=再び)Roots(=根源)である“3.11を忘れない”という意味も込められている。

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農地のガレキ撤去から始まったReRootsのボランティア活動。日本だけにとどまらず世界中から参加者を募り、のべ3万人で約500件の依頼をこなした

農家を一軒一軒訪ね、地域課題を調査

広瀬さんたちは活動開始にあたり、まずは、農地のガレキ撤去を行いながら農家の話を聞くことを重視した。自分たちのやりたいことを押し付けるのではなく、あくまで生活者目線、相手の立場に立つべきだと感じたからだ。
「震災前のこと、農業への思いなどについてガレキ撤去の度に一軒ずつじっくりヒアリングしました。私たちがいくら農業再生だ、農村再生だと言っても、若林区の農家の方々が『この先も農業を続けたい』と思っていなければ意味がないからです」
そこで見えてきたのは、農業従事者の高齢化問題、後継者不足問題といった、農村が抱える本質的な課題だった。津波によって農業機械はほとんど流され、個人農家は営農再開が困難となり法人化が進んだものの、平均年齢は65歳。農家の方々も農業を続けたい気持ちはあるが、自分の年齢を考えるといつまで続けられるか分からないと不安に思っている。畑のガレキを撤去し、営農再開するだけで果たして復興と言えるのか。10年後、20年後の未来にこの農村は存続しているのか。広瀬さんを含むReRootsのメンバーは、復旧、復興、そしてさらにその先を考えなければならないと確信した。

「地域おこし」の必要性

2011年から2014年頃まで、ガレキを撤去し景観を回復する作業に集中したReRootsは、次なる段階として営農再開を目指す復興支援へ着手する。しかし、ただ営農再開を叶えるだけではなく、更なるビジョンも持っていた。
「私たちの目指すものは「復旧から復興へ」、そして『地域おこし』です。ガレキを撤去し、農業を再開したとしても、この地域には人が集まるような大型ショッピングセンターやスーパー、有名観光地などはありません。そもそも、それらが必要だとも考えていません。住民の皆さんは、この地域のありのままの姿で存続していくことを望んでいます。持続する農村づくりに必要なのは、大きな商業施設ではなく新規就農者と後継者です」
のどかな田畑と海が広がる若林区の農村が変わらぬ姿で持続するために、「地域おこし」を目標に掲げた広瀬さん。過疎化が進むこの地域にReRootsの大学生たちが主体的に関わることで、「地域おこし」の足がかりを作れないかと考えた。
「私たちは被災地ボランティアとして地域に認識されていたので、ガレキを撤去したらいなくなると思われていました。ですが、私たちは本気で『地域おこし』をしたいと思っている。一時的な支援ではないことを理解していただくには、やはり農家の皆さんと同じように、本気で農業をやるしかないんです」
ReRootsのメンバーは、農家の方々と同じように早朝の畑へやってきて自分たちの野菜を管理し、また若手農家の作業を一通り手伝ったあと大学の講義へ向かう。この活動を始めた当初は「こんな朝早くから来てくれたのか」と驚かれたという。同じ時間に起き、同じように働き、同じ苦労を共有することで、時間をかけて少しずつReRootsの存在は地域に受け入れられていった。

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「学生たちの思いが、行動を伴うことで農家の方々に伝わっていきました」と広瀬さん