STORY 02

サロン開催など支援活動を開始。
助け合うためのつながりづくり。

被災者・避難母子に向けたサロンを開催

震災後、宮城県には福島県から多くの方々が避難してきていた。他施設ではすでに避難住民の親子向けサロンが開催されていたことから、利用者からの要望を受けて「のびすく仙台」でも福島県から避難してきた母親向けの「ほっとママプロジェクト」を開始した。震災後の母親の心のケアを目的とした託児付きサロンだ。また、同時期に三浦さんは東松島市の子育て支援センターへ出向き、震災で子どもを亡くした親が多くいることを知る。
「傷ついたお母さんたちの心のケアがしたいと思い、東松島市でも女性のためのくつろぎサロン『わたしじかん』をスタートさせました。また、それと同じタイミングで、元々つながりのあった気仙沼市の保健師さんのお声がけによって、震災でご家族やお子さん、大切な方を亡くされた方々の心のケアの会『陽だまりの会』を始めたのです。こちらは、北九州で震災支援で立ち上がった「折り鶴ネットワーク基金」の皆さんなどのご協力もいただき、お母さんに限らず様々な方にご参加いただいています」 「ほっとママプロジェクト」は、その後「ママともサロン0123」へと形を変え、現在は母親たちが主体となる「福ガール’sプロジェクト」へと進化。「受け身の参加」ではなく「発信」することを目的とした活動に変わっていった。

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「福ガール’sプロジェクト」で行う親子イベント「シネマdeおはなしえほん」と、女性のためのくつろぎサロン「わたしじかん」の活動の様子

「続けること」に意味がある

東松島市や気仙沼市のサロン運営に関わりながら、三浦さんは同じ被災者でも、それぞれの温度差について感じることがあったという。
「参加者間でも、被災の種類や度合いが全く違います。身内や友人など、大切な人を亡くされている東松島市や気仙沼市の参加者の皆さんの苦痛を完全に理解することはできません。福島県の避難住民の皆さんも同じです。仮設住宅に入ったから、復興住宅ができたから、『だからあなたは良かったね』ではないんです。受け止め方は人によって違いますし、それを決めるのは私たちではありません。そういう意味で、私たちは当事者ではないので、完全に共感できないという難しさはありました」
しかし、もうすぐ震災から10年。活動を開始してからも同様に10年目を迎える。これまで5年や8年の節目で、いろいろな団体やグループが解体・撤退をしていく中、三浦さんたちのサロンは今も活動を続けている。「続けることに意味がある」と考えているからだ。
「私たちがこの活動を止める時は、参加者の方々から『もう支援は必要ない。大丈夫だよ』と言われた時です。それまでは続けると決めています」
参加者の気持ちを100%理解することはできない。参加者側も、サロンで自分の気持ちを100%素直に話せるとは限らない。ただ彼女たちと同じ時間を共有しているという事実があって、その時間の積み重ねこそがサロンの存在意義だと考えている。

「人とつながること」の大切さ

誰も経験したことのない災害に見舞われ、三浦さんが感じたことは「人とのつながりがいかに大事か」ということだった。支援物資の援助も、サロンの開催も、防災冊子の発行も、すべて震災前から親交があった方々の協力によるものが大きい。人とのつながりが、震災後の大きな支えになってくれた。また、子どもを持つ親にとっても、人とのつながりを持つことは大切だ。
「震災当時、仙台に引っ越して来てまだ2ヶ月、赤ちゃんも0歳児だったというお母さんがいました。知り合いが一人もいない場所で突然の大地震。とても不安で、どうしたらいいかわからなかったそうです。ですが、同じアパートに住む方が『あなたのところ、赤ちゃんがいたよね。大丈夫?』と様子を見に来てくれて、すごく救われたと仰っていました。家族構成を知る人が近所にいるというだけで、どれほど心強いか。小さなお子さんがいるご家庭ではぜひ近所に知り合いを作っておいてほしいです」
震災後、「のびすく」を利用する人に0歳児の保護者が増えたのは、「いざという時のために、早いうちに知り合いを作っておきたい」という防災意識の現れでもある。互いが見守り、助け合えるつながりを持つことが、子どもにとっても安心・安全な環境だ。三浦さんは、0歳児の保護者の利用がこれからもっと増えてほしいと願っている。

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「のびすく」内には0歳児中心のスペース「あかちゃんひろば」がある
STORY 03

子育て世代の防災を、
伝え続けていくこと。

10年目の変化とこれから

東北最大の地方都市である仙台市は、転入や転出が多いエリアでもある。震災から年数が経つにつれて、必然的に震災を経験していない家族も増えていく。三浦さんが関わるサロンにも、震災経験のない参加者が増え、状況の変化を感じているという。「震災経験のない親へ、どのようにして防災の教訓を伝えていくのかが目下の課題ですが、定期的なイベントや防災冊子で発信していけたらと考えています」
また、「福ガール’sプロジェクト」は母親たちが主導する活動へと変化したことで、すでに「せんだいファミリーサポート・ネットワーク」の手を離れているが、気仙沼市や東松島市のサロン運営には携わり続けている。今年は新型コロナウイルスの影響でほとんどサロンを開催することはできなかったものの、来年以降は開催する予定だ。
「開催頻度や活動内容は、参加してくださる方々に応じて変わっていくと思いますが、ご協力いただいている地元の方々と相談し、必要とされる限りはどんな形でも続けていくつもりです」

「今できること」を積み重ねていく

10年という節目にあたり、三浦さんはこれまでの活動を振り返りながら改めて防災を考えるシンポジウムや講演などを開催したいと話す。それと並行して、来年中には防災冊子を作り直して発行したいと考えており、そこには地震だけではなく水害についての防災情報も加える予定だという。ここ数年の異常気象を考えると、これから先、地震や水害といった災害が少なくなるとは到底考えられないからだ。また、冊子を作るにも資金が必要となるため、前回と同様に助成金を活用するとともに、クラウドファンディングなど、あらゆる可能性を模索して実現を目指す。
「最近は、新型コロナウイルスの影響で『のびすく』の利用者が少なくなりました。これはもう仕方がないことですが、外に出て人と触れ合ったり、刺激を受けたりすることは子どもにとって必要なことですし、保護者にとっても、つながりをつくるという点で大事なことです。今は自粛すべき時ではありますが、子どもの成長は待ってくれませんから、私たちもそのような機会を作ってあげられないもどかしさはあります」
それでも、今できることを考え、前に進むしかない。震災後わずか4日で「のびすく」が運営再開したように、子どもたちと保護者のためにできることを考え、行動し続けていく。安心して子育てができる未来とは、それら一つひとつの積み重ねで成し得るに違いない。
「私たちはどんな時も、子どもたちと保護者の心身を守る存在でありたい。人とのつながりに感謝し、これからも子育てや防災についての情報発信を行っていきます」

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震災後の2017年にオープンした「のびすく若林」にて。今や若林区の子育てファミリーにとって、なくてはならない施設として定着している