STORY 02

子どもたちの居場所を取り戻す
被災地での出張遊び場。

被災した子どもたちに「心のケア」を

根本さんは、震災の翌日から3日後くらいまではスタッフやその家族の安否確認を行った。
「スタッフの無事が確認できてからは、『私たちに何ができるだろう』と考えながらも、避難している地域の人たちのことが気に掛かり、役所などに避難所の場所を聞きに行っていました。避難所である小中学校などに実際に足を運び、そこで生活する人の暮らしぶりを見るうちに、子どもたちの居場所がないことに気が付いたのです」大勢の避難者が共同生活をする避難所では、「子どもの声がうるさい」といった声が多く聞かれた。そして、ストレスを感じている子どもたちがたくさんいたという。「そこで『心のケア』が必要だと感じたんです。冒険広場の再開の見通しが立たない中で、私たちにできることは、まず子どもが自分らしくいられる場づくりだと思いました。そこで『出張遊び場』を始めました」

出張遊び場の主な活動は、木材や工具、こまやけん玉などの遊び道具や材料を仮設住宅などいろいろな場所に運んでいって、子どもたちに遊び場を提供すること。沿岸部に近い六郷小学校の校庭から取り組みが始まった。
「出張遊び場の活動が始まったのは、震災から約2ヶ月後。最初はスタッフの自家用車で冒険広場にある遊び道具を持っていきました。子どもたちに提供するのは、基本、遊びに使える道具のみ。彼らの『やってみたい』という自主性を尊重し、自由な遊び場づくりを目指しました。例えばビニール袋を凧に見立てて、凧揚げをするなど、自分たちで創意工夫して遊ぶ姿が見られました」
その後『日本冒険遊び場づくり協会』からワゴン車の『プレーカー』を支援され、被災地である若林区を中心に出張遊び場を充実することができた。主に小学校の校庭や仮設住宅の敷地内、公園など10カ所以上に、プレーリーダーが週1回から月1回ほど訪れ、出張遊び場を展開した。

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2011年5月1日からスタートした六郷あそび場
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学校の校庭や仮設住宅内の広場などを活用し、出張遊び場を展開した

大人が楽しめる交流サロンも開催

「冒険あそび場-せんだい・みやぎネットワーク」の設立メンバーである髙橋さんも、震災後は出張遊び場の活動などを通して、仮設住宅に多く足を運んでいた。
「大人が不安そうにしていたり、落ち着きがなかったりすると、その気持ちが子どもたちにも伝染してストレスを感じているようでした」
そこで、子どもたちはもちろん、大人にも『心のケア』が必要だと感じ、小物作りをしながらお茶飲みができるような『縁側倶楽部』という交流サロンも始めた。子どもも大人もお互いに顔が見えて安心できる関係性を作るため、縁側倶楽部は出張遊び場と同じ場所、日時で開催。仮設住宅暮らしを送る人の中には、もともと住んでいた場所が異なる人が多かったので、避難先での新しいコミュニティづくりを支援する目的も兼ねて運営された。より地域の暮らしの中に踏み込む機会が増え、人と人との交流が深まっていった。
「活動の中で、大人が子どもにいろいろな遊びの知恵を教える機会が多く見受けられました。子どもがこまを回して遊ぶ光景を見た大人が、思わず自分もやりたくなって一緒に遊んだり、こまの回し方のコツを教えたり。冬には地域の田んぼで氷滑りをしたという話を聞かせてくれる人もいました。世代を超えたつながりを作ることで、子どもの暮らしをより良くしていくことができると思うんです」

住民の主体的な関わりにより、活動の場はさらに拡大

出張遊び場の活動を続ける中で、他の地域からのリクエストも来るようになっていった。岩沼市では社会福祉協議会や仮設住宅の入居者を包括的に支援する「里の杜サポートセンター」等と連携しながら「里の杜あそび場」を開催。子どもの遊びをサポートするボランティア養成講座も実施した。「講座参加者の中には、交流を目的に市民農園を運営する人もおり、農地を活用した遊び場を始めました。そこでは、田植えやイモ掘りなどの農作業の体験も行いながら、子どもたちが泥んこになって思いきり遊べるような機会をつくることができました」と髙橋さん。農作業を通して、子どもたちは畑仕事に慣れたお年寄りと関わりやすくなり、世代を超えたつながりを育むきっかけをつくることもできるという。
他の地域でも、復興公営住宅の町内会からの交流の場をつくりたいという相談に協力する形で活動が始まるなど、住民の主体的な関わりから新たな遊び場が生まれていった。

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仮設住宅では、被災者と一緒にお茶飲みをしながらコミュニケーションを取っていたという髙橋さん
STORY 03

遊び場づくりから新しい生き方へ。
子どもたちの生きる力のために。

過去を振り返りながら新しい時代に対応した遊び方を考える

子どもたちの遊び場づくり。それはまさに未来に向けた人々のつながりを考えること。新しい時代、新しい生き方を遊びを通して子どもたちと一緒に考えたい。世代を超えた地域のつながりは、コロナ禍のような時代にこそ活かされるべきだと根本さんは語る。
「被災地域で年配の皆さんの思い出話を聞いていると、身近な地域の環境を活かしていきいきと遊んでいた話をたくさん聞くことができます。たった何十年か前のことです。新型コロナウイルス感染症の影響で思うように外出できない人は多いと思います。私は必ずしも遠出する機会を作らなくても、地域の人たちや家族で日ごろからコミュニケーションが取れていれば、身近な場所で十分に楽しく遊べる環境がつくれると思っています。時代が変わっても、子どもが楽しいことに夢中になるのは共通。世代を超えて交流を深めながら、各地で遊び場が増えてくることを願っています」

冒険広場の再オープンを機に沿岸地域へ

冒険広場は、2018年7月、約7年間の休園を経て再オープンを果たした。津波への備えを強化するため、海側にある展望台周辺を高さ15メートルの「避難の丘」として新たに整備した。
「震災後、新しくなった冒険広場には、津波の痕跡を保存しており、過去の災害を今に伝えるという新たな役割も担っています。もともとの私たちの目的である子どもの遊び場づくりが、災害時でもたくましく生き抜ける力に直結するということも、多くの人に伝えていきたいと思います」と語る根本さん。
現在、冒険広場の周辺は集団移転などで人口が減少したが地域にどう貢献していくのかが課題となっている。
「冒険広場に訪れた人には、さらに足を伸ばして沿岸部全体に足を運んでもらえたらと思います。沿岸部では様々な施設から市民ベースの体験活動まで地域の魅力を発信する取り組みが増えており、様々なところで再生している過程が見られます。冒険広場が沿岸部とまちをつなぐきっかけになれたらうれしいです」と根本さんは遊び場づくりを通して遠く地域の未来を見つめている。

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展望台に案内してくれた根本さんと髙橋さん