キーパーソンインタビュー

小学5年生で被災した体験から
防災への強い志を持つ、若き防災士たち。
東北福祉大学 健康科学部 学部長・教授
防災士協議会 会長 舩渡 忠男さん(写真右)
Team Bousaisi 代表 関 駿真さん(写真中)
同 副代表 角田 かりんさん(写真左)

防災の専門研修を受けた「防災士」という資格の登録者数で、仙台市は全国の政令指定都市の中で第1位。
その防災士養成に大きな役割を果たしているのが、東北福祉大学防災士協議会だ。
学生防災士グループであるTeam Bousaisiは、小中学校、町内会、県内外の自治体、メディアなどと連携して、若い世代や子どもたちに防災の学びを伝え続けている。

STORY 01

胸に刻まれた被災の記憶、
だからこそ防災の気持ちを大切に。

震災後、東北福祉大学では運動部などのグループを中心に積極的にボランティア活動に参加した。阪神淡路大震災の時に学生と教職員が現地へ向かうなど、東北福祉大学のボランティア活動は従来から積極的に行われてきた。健康科学部の教授として学生のボランティア活動の取りまとめ役なども行っていた舩渡忠男教授は、当時の状況を振り返る。「志のあるいくつものグループが生まれて、主に現場に行って泥やガレキの処理、被災家屋の畳や破損した家具を運び出したりする作業を各地域で行っていました。発災直後は大学で授業ができる状態ではありませんでしたので、学生も参加しやすい状況でした」

先への備えの意識を大切に

1年ほど経って⼤学の授業が徐々に正常化してくると、学生がボランティア活動に参加する時間も限られてきて、前年のようには復興のための活動が進まなくなってきた。舩渡教授がこれからどういうかたちで⼤学として復興に向き合っていくのか、このままボランティア活動を続けるのか、別の⽅向性を模索すべきかを考えていた頃、「⽇本防災⼠機構」という防災⼠の組織があることを知る。そこで舩渡教授は、東北福祉大学の学生が防災士の資格を取って学生防災士の集団をつくったらいいのではと考え、その準備に取り掛かった。
「震災復興の初動段階では、学⽣ボランティアが求められる場面が非常に多かったが、これから先は『防災』という取り組みも大切になるだろう。その時には学生防災士としての活動によって大きな役割を果たしていくことができるのではないか」という思いだった。

防災士の集団をつくろうという計画の中で、東北福祉大学防災士協議会を立ち上げることになった。「協議会としたのは、本学だけではなく外部の人や団体、いろいろなところと連携して幅広く活動しよう、防災⼠という資格の取得を⽬指す動きを東北全体でも広げていこうという考えからです。震災から2年後、2013年の5⽉に発⾜しました」

Photo
2013年、東北福祉大学防災士協議会を立ち上げた舩渡教授

東北の防災士養成の拠点として

東北福祉大学防災士協議会は、学生のほか一般市民の防災士が会員として所属し、地域における防災意識向上の啓蒙を目的として、主に会員へのスキルアップ講習などの研修活動を行っている。現在、会員は約200名。Team Bousaisiは東北福祉⼤学の学生防災士の団体で、正式な学生指定団体となっている。2020年度のメンバーは約60人。防災に関する様々なボランティア活動を行っている。

防災士は、日本防災士機構から認証登録される資格で、防災士になるためには、1・防災士研修講座を受講して履修証を取得、2・防災士試験に合格、3・救急救命講習を受けて修了証を取得、4・防災士認証登録における最終の資格審査で合格が必要となる。
「日本防災士機構から認可を受けた防災士養成研修実施機関というものがあります。東北では自治体で3カ所、大学では青森県に2大学、あとは本学があるだけです。実施機関は資格を取るための講座を開く必要がありますので、その条件を満たすそれぞれの専門家を招集しなければいけません。防災や福祉、教育などの面で意識が高い機関でなければ務まらないという背景があります。本学は東北全体の拠点機関の1つと言うことができますし、また防災士養成という重要な役割を担っているということになります」 防災士認証登録者数を政令指定都市20市の中で見ると、実は仙台市は第1位。これは東北福祉大学が、毎年大学生防災士養成の実績を重ねてきた成果とも言える。

Photo
仙台南ニュータウン地区の町内会防災活動への参加
Photo
2019年台風19号災害ボランティア活動の様子

将来の志を胸に決めた進学

いまTeam Bousaisiのリーダー的役割を果たしている学生2人は、ともに小学5年生で被災した。代表を務める関駿真さんは、相馬市に住んでいた。「親は2人とも沿岸部の学校の教師だったので、当日はそれぞれの学校での対応で精一杯で、私の小学校には迎えに来られませんでした。校庭では余震が続いていて、泣いている子も大勢いました。津波という言葉を聞くのが初めてで、テレビでは川の濁流なのか津波なのか見たこともない場面が映り、感じたことのない恐怖と不安で、何をすればいいのだろうと思いました。結局、祖父の家に1カ月くらいいました」

副代表の角田かりんさんの実家は、茨城県笠間市。「海はないのですが、地震の揺れだけで衝撃を受けました。私も学校にいてみんなでグラウンドに集まって、親が迎えに来た人は一緒に帰りました。私の母親は看護師だったので迎えに来られず、親が来られない子どもたちは団体になって帰りました。家に帰っても誰もいなかったので、近所の友だちの家に行っていました。親は帰ってきてもすぐに出ていったりと、ずっと一緒にいられるわけではないので、1人でいることが多かったです。鮮明に覚えているわけではないのですが、とても不安な気持ちをずっと抱えていました」

この被災体験もあり、2人の将来の進路への方向性が固まった。医療経営管理学科3年の関さんは、救急救命士を目指している。「震災の時に最前線で働いている医療管理者や消防の人を目の前で見たり、実際に助けてもらったりしたので、自分もこんな人になりたいなと思うようになりました。高校の時に大学をいろいろと調べていて、東北福祉大学はボランティア活動が盛んで救急救命士の国家試験受験資格も得られるということを知り、自分のもっている力を伸ばせそうだと思いました。震災後、防災に興味をもったということもあって、そういった知識をもっと増やしたいと、本学に入学し、防災士の資格をとりました」

福祉行政学科3年の角田さんも、救急救命士を目指す。「私も関君も救急救命士の課程をとっています。救急救命士になろうと思ったきっかけは、母が看護師で姉が消防士だったからです。東北福祉大学を志望したのは、震災・津波の被災地に来たからこそ学べることがあると思ったことと、福祉教育が充実していると思ったからです。本学は、各学科とも国家試験受験資格など取得できる資格が豊富にあります。防災士もその1つです」