様々な人たちとの出会いが
力強いネットワークにつながった。
世界に注目された、東北
一般社団法人MAKOTOは、竹井さんが1人で始めた団体で、東北の起業家・経営者の支援を通して東北の復興に貢献していくことを活動の目的とする。特にエリアは絞っていなかったが、宮城県や福島県が多かったという。とにかく人を訪ねて会うことが仕事だった。
「面でサポートするというよりは、事業者や起業家との出会いというところからスタートしました。いわき市で事業をされている方、石巻や塩釜で事業をされている方など、みんな起業家個人との出会いがキッカケです。2012年には、メンバーが増えて5人になりました」
活動を続けるにあたって、震災からの復興という状況について、どのような見方をしていたのだろうか。
「東北が未曾有の災害を受けて大変で悲惨な状況になりました。ただ世界中から支援がありました。物資、義援金、人員サポート、様々な活動があり、それもまた世界から注目されるようになりました。東北にとってはそのように世界から注目を集めるということは初めてのことです。東北は、この機を逃してはいけない、絶対に生かすべきだと、まず思いましたね」
東北に対する様々な支援。それはまた、かつてなかったような出会いをもたらした。
「例えば、有名人の方が東北に来てくれて、漁師さんと友だちになった、あるいは一部上場企業の社長さんと地元の人が普通に話せる仲になった、ということがありました。普通はあり得ないようなことが、あの時ありました。それは東北にとって大きな恩恵だったと思います。幸いにも私たちも、いろいろな恩恵をいただいたので、これを東北のため、社会のために生かしていこうと思っていました」
様々な人たちとの出会いにより、MAKOTOのネットワークは次第に広がっていった。震災後から数年間、竹井さんは自らが出会った人たちを、復興で立ち上がった「志のある志士」と表現した。震災直後には「復興志士交流会」という催しを宮城と福島で開いている。
「事業家、支援者、再起を決意した人、新しいことを始めようとする人、みんなものすごく燃えていました。そこから何か大きな変化がつくれるんじゃないか、世の中変えていけるんじゃないか、とずっと興奮状態でしたね。幕末ってこういう感じだったんだろうね、とよく話していました」
ファンドによるサポート
それぞれの相手先によって、様々なサポートを提案していくことが重要だ。
「いちばん重点的に行ってきたのは、立ち上がる事業者への経済面での支援ができるような仕組みづくりです。ファンドをつくって、そのファンドからの投資とサポートをするというカタチが多かったです。また地元の中堅~大企業へのコンサルティング事業も増えてきました。その方々が新規事業を立ち上げるお手伝いもします。あとは業務のデジタル化などをお手伝いしたり、地域のビジネスが強くなっていくお手伝いをしています。それから、各自治体さんにそれぞれの地域での事業づくりの提案や、自治体運営の中で困っていることへのサポートもあります。仙台市や東北大学との協働事業のようなことも携わらせていただいています」
「震災直後は思いが先行して、なかなか将来への継続性も見通せない状態で突っ走ってきたけれども、しっかり地域や社会の役にも立ちながら、法人としての収益も出せるような事業として進めたい」そのような意識で取り組んできたという竹井さんだが、「これまでの9年間は、ずっと試行錯誤しながらやっている感じですね」と話す。
官学との連携事業
仙台市との関わりについて、事例をあげてもらった。1つは起業家応援イベント「SENDAI for Startups!」の事業。
「仙台市とは2013年から、起業家向けのイベントづくりを一緒にさせていただきました。“SENDAI for Startups!”という名前です。誰かのために、地域のために、という思いを持って一人ひとりが一歩踏み出せば、きっと課題は解決できる。東北地域で新しいことにチャレンジしたい方、ぜひこのイベントに参加を、と呼びかけ、一緒に盛り上げてきました。2019年と2020年は“Tohoku Growth Accelerator”という名前に変わって、引き続き仙台市と私たちで企画運営実施させていただきました」
仙台市との協働事業の、2つめはスタートアップ企業の支援事業。仙台市では、仙台・東北における革新的なビジネスモデルの構築などにより、自らの急成長を目指すとともに国内外のさまざまな課題解決に寄与するスタートアップ企業の支援を行っている。2019年には「仙台スタートアップ・エコシステム推進協議会」を設立して取り組みを進めてきた。
「2020年、国の“スタートアップ推進拠点都市”という施策に仙台市が選ばれ、今後はこの動きが加速していくことになります。その基盤となる推進協議会のメンバーとして私も名前を連ねさせていだだいていて、協働で取り組みを進めています」
出身大学である東北大学とは、もともとつながりはあったというが、一緒に事業をやり始めたのは2018年のことだ。東北大学は2030年を見据えた「ビジョン2030」の産学連携の柱の中で東北大学発ベンチャーの創出と次世代アントレプレナーの育成を重点戦略の1つとして掲げている。
「東北大学として起業支援に力を入れるべく外部の専門家の力を借りたいということで、私たちが2017年に受託させていただいて、“東北大学スタートアップガレージ”というプロジェクトを一緒に企画運営しています。そこでは、学生起業家の支援や、大学の先生方のベンチャーにサポートしたり、ビジネスプランコンテストなど、いろいろなことを進めています」
2013年のSENDAI for Startups!開催
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2019年、仙台スタートアップ・エコシステム推進協議会の発足
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東北のチャレンジャーが
もっと輝く東北をつくっていく。
株式会社の設立とグループ化
ひたすら、より良い東北、より良い社会のためにとの思いで活動してきたが、活動を続けるためには法人としての基盤が大切になってくる。
「より社会にいいことをしようと思えばこそ、そこは継続性のあるカタチでないと責任を持って仕事をすることができないです。私自身がよくても仲間が食べていけないということで離脱するようでは、やり始めたことも完遂できないですよね。ちゃんと稼ぎながら社会の役に立っていくことは大事なことで、そこの両立がいちばん難しいですね。悩ましいところです」
このように話しながらも、当初5人ほどのメンバーも紆余曲折を経て、徐々に増えてきた。2018年には、一般社団法人から株式会社に移行し、事業部ごとに分社化して株式会社MAKOTOなど3社を設立した。メンバー総数は約40人という。
変わらぬ思いを持ち続けて
たった1人で始めた活動が、クループ企業をかかえ、様々な方向により大きな力を展開できる事業体にまで成長してきた。この10年になろうとする歩みの中で、竹井さんはどのような思いを抱いているのだろうか。
「創業した時から、実はあまり変わらないんですが、東北でチャレンジするような人が、よりチャレンジしやすい仕組みというものがあれば、ここから先100年、200年経っても東北は変わらず発展していけると思うんですね。東北ということに限らず、この社会にそういったチャレンジから発展へのプログラムがインストールされているべきだと思っていて、その仕組みをつくるためにずっと活動を続けています」
手段とかやり方は、それぞれ試行錯誤しながらなので、その時々で違うかもしれないが、最終的に実現したいと思っている目標は、そうした東北の姿だという。次にはどんな戦略を描いているのだろうか。
「今、考えているのは、グループリソースのオープン化です。グループ会社のあり方が非常に特徴的になってきて、これまでの信用や実績の蓄積があったり、人脈やネットワーク、そしていろいろ得意分野というのもそれぞれのグループメンバーが持っています。その中で新しい人がチャレンジしようとしたら、いちばんやりやすい環境になっているし、外の起業家や事業者に対してもサポートがしやすいわけです」
これまで東北の人材は、高校や大学を出ても面白い仕事がないからみんな東京に行ってしまうという状況があったのではないか、と竹井さんはとらえている。「これから東北の中で何かチャレンジしようとした時に、こういった面白い仕事に携われる場所があるんだ、そういうグループがいるんだ、ということになれば、とどまれると思うんですね。もしくは東京に行った人も帰ってこれるという、そういった受け皿になろうと思っています」
東北大学スタートアップガレージ(TUSG)の一環で宇宙ベンチャーセミナー2018を開催
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2019年、Tohoku Growth Accelerator
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この先も継続できる仕組みづくり
復興活動の、そのさらに先について竹井さんは、ある考えを持っている。
「生きている間に会社をつくったり、復興に関わったり、その仕組みをつくったりするのはできるとしても、竹井がいなくなったらどんどん衰退してなくなりました、という状況になれば、元に戻ってしまうじゃないですか」
自分がいなくなっても、属人的でなくどんどん継続して発展していけるような仕組みというのを残さないといけない。もしそういう仕組みができて1つモデルになれば、他の地域でも活用できる。その仕組みがあれば、継続してチャレンジャーが生まれ育ち、発展し続けることができる。そのような東北の仕組みが世界中から真似されている。そんな姿を竹井さんは想像している。
「なんで東北ってあのように発展しているのかな、って研究したら、MAKOTOグループっていうのがあるから、どうもその機能を果たしているらしい…というようなものをつくり上げたいと思っています」
不可能ではないと思っている。なにか新しい仕組みを発明して、それが世界中に広がるということもあるだろう。そういった新しい仕組みを、東北から生むべきだと思っている。挑戦はまだまだ続いている。
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