キーパーソンインタビュー

東北でチャレンジする志が
世界の発展に結びつくような社会へ。
株式会社MAKOTO 代表 竹井 智宏さん

震災後間もない2011年7月に、たった1人で東北の起業家・事業者を支援する活動を始め、東北の復興に熱い志を持って尽くしてきた。
「何とかしなければ」「自分が立ち上がらなければ」という思いを胸に抱きながら、自らの使命感で進んできた。
その取り組みのさらに先に向かって、東北から生まれる新しいチャレンジャーのための仕組みづくりを今も続けている。

STORY 01

志のある人を発掘して、
志を持ってサポートする活動。

震災当時は、東北イノベーションキャピタルという投資会社に勤めていた。
「ちょうど出張から帰ってきてオフィスに戻ったところで震災が起きました。しばらくしても不安な状況が変わらなかったので、妻と生まれたばかりの子どもを大阪の実家に避難させました。そこで自分1人になった時に考える時間ができて、仕事ではなく、この状況で何かしなければいけないんじゃないかな、という思いがすごく強くなり、何をすべきかを考え始めました。以前から、今の社会への漠然とした課題を抱いていたことに加え、震災により今後の東北地方が衰退してしまうという大きな課題。そこからの脱却の糸口をどうにかつかめないかと思って生活していました」

この状況下で、自分がやるべきこと

被災地では「これはどうやって片づけるんだろう」「元には戻らないんじゃないか」という感情が起きてきた。誰かに任せておけば済む話ではなく、一人ひとりが本当にできることをやらないとダメだと思った、という。
「行政や大企業にまかせるだけではなく、微力かもしれないが、自分としてできることが何かあるはずだ、という思いでした」

今は震災の初期で、救命やガレキ片付けなどの復旧段階だが、その後に来るであろう復興段階では必ず経済の話になるので、そこに向けていち早く準備をすることが、自分がこの状況下でやるべきことではないか、竹井さんはそう直感した。
「当時勤めていた会社は、ベンチャーに投資をするという仕事でした。新しい事業を生み出し、新しい大きな成長企業をつくる、産業をつくる仕事です。そういう投資会社の人たちが積極的に経済復興に尽力しないと、絶対元通りにはならないし、そのあとの東北もみんな住んでいけるような場所にはならないのではと考えていました」

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2012年に開設したコワーキングスペースにて

より良い社会に変えていく信念

もともと大学院修了の後は研究者を目指していた。ビジネス関連は疎いし、むしろお金のことやビジネスは嫌いと言うタイプの人間だったという。ただその頃、社会の状況が大きく揺らいでいた。
「9.11アメリカ同時多発テロや、日本全体が不景気で一家心中などのニュースに心を痛めていました。やはりしっかりとした経済基盤がないと、みんな不幸になっていくし、大きな世界の渦に巻き込まれて生活が成り立たなくなってしまうようなことは避けなければいけないと、真剣に思い始めたんです。それで雇用を自分でつくり出そうという方向に思い切って転換しました」
社会全体がどんどん良くない方向に向かっているのではないかという不安が常にあり、いつかこの社会をよりよく変えていかなければいけない。そんな信念のようなものが、胸の奥底の方にこの時生まれていた。

2007年から携わった投資会社の仕事は、仕事を自分でつくり出していくための修業と考えていた。そこでは東北に産業をつくっていくという事業を行っていて、自分の課題意識とも合致していたというが、竹井さんの中にずっとあった社会への不安が、震災を機にさらに大きく一気にふくらんだ。
「“いつか”この社会をよりよく変えていくための取り組みを始めないと、と思っていましたが、“いつか”ではなくて、“今”やらなければダメだなという思いに変わったんです」

それがアクションとして表れたのが、一般社団法人MAKOTOの設立だった。震災後、会社を辞めてわずかな時間で立ち上げた。
「会社で働きながら経済復興につながるような動きはしていました。ただ、たとえば被災地復興ファンドと地元企業・商店とを結び付ける活動などを始めるにあたって会社の枠をはみ出してきたという面もあります。上司ともきちんと話はしました。結果的には、やるのであれば外で、ということになりました。特に何かきちんと起業準備をしたというわけではなく、今やるべきことをやらなければという思いだけで、つくったようなものです」

「思い」や「志」が求心力となる

当面の収益につながりそうな話はいくつかあったが、震災直後の変化が激しい時期だったこともあり、1つも実を結ぶことはなかった。
「始めにやっていたことは、復興を志す熱い人たちの交流会をやったり、個別の事業者さんのサポートで何か関わったり、そんなことを続けていました。私に力がなかったのでたいしたことはできていませんが、やったことの成果が出ず、本当にもう後がないという状況まで追い込まれた時、入居先の関係者からビジネスセミナーのようなものを受託してくれないかという話があって、ようやくそれで息をつけたという感じでした」

その後も、いろいろ模索しながら、1つずつ事業を始めていった。当時クラウドファンディングが出始めの頃で、東北の事業者さんにクラウドファンディングのサービスを提供すれば役に立てるのではないかと、サービスを立ち上げた。まだ認知度が低かったが、異なる業種の人たちがオフィス環境を共有して働くコワーキングスペースをつくって運営を始めた。どちらも2012年のことだ。
「どれもそんなにダイレクトにインパクトある支援ができたかというと、そんなことはないと思いますが、当時の自分はそういうところからスタートしました」

志のある人を自ら発掘して、支援する。竹井さん自身が大きな志を持っているからこそ、続けられていることだろう。
「私自身、前職でベンチャー投資をしていた時から感じていたことでもありますし、震災を契機に非常に強く感じたことですが、やはり人の“思い”や“志”が求心力となって、いろいろな仲間が集まってきたり、協力体制が整ったりするということがあります。初めにコアとなるのは“志”だなと。燃えたぎるような熱い情熱で、自分の身は捨てててもいいというほどの献身ぶりというか、使命感が“志”のコアになっている、といった事例をいくつも見たんですね」
それが大事だと思って、志がある人をコアにしてサポートしていこうと、自らも志を燃やさなくてはいけないなと、思ったという。法人名のMAKOTOも、この上なく誠実であるという意の「至誠」に由来して名付けられた。

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2012年、コワーキングスペースを開設
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2012年、クラウドファンディング・サービスの説明会