キーパーソンインタビュー

女性の防災リーダーを増やし、
地域における「持続可能な防災・減災」を目指す。
仙台市地域防災リーダー(SBL) 大内 幸子さん

東日本大震災当日、想定外の被害に見舞われながら、住民たち自ら迅速に避難誘導を行い、行政に頼らずいち早く炊き出しや避難所運営を開始した町がある。
後に「福住町方式」と評価されるこの取り組みの中核的存在であり、現在は地域防災リーダーとしても活躍中の大内さんが語る、地域防災の“これまで”と“これから”。

STORY 01

避難所で目の当たりにした「災害弱者」の存在。
防災・減災への意識新たに。

1986年の台風10号による水害や2008年の岩手・宮城内陸地震など、これまで幾多の自然災害を経験してきた仙台市民は、決して防災意識が低いわけではなかった。しかし10年前の3月11日、未曾有の大震災に見舞われ、「普段の備えと危機意識」がいかに大切であったかを改めて実感することとなる。「震災当時、仙台市内では、公助が行き届かない中、町内会をはじめ防災の専門知識を持つ人がほとんどいませんでした。その教訓を生かすために、仙台市が独自に構成したのが仙台市地域防災リーダー(以下、SBL)です」
SBLの発足は東日本大震災から1年後の2012年。主な活動内容は、災害時の会長の補佐と避難誘導、避難所の運営。平常時は防災訓練の企画運営や地域住民への防災啓発活動、指定避難所の運営に関する各所との連携など、地域に根ざした活動を行っている。2003年から防災部に入り、震災後に防災部長となった大内さんは、それまでの活動が評価されたこともあり、2年目で加入し、以来、SBLとして活躍している。

災害時に生かされた「福住町方式」

震災当日、大内さんは、福住町にある自宅の2階にいた。「激しい揺れがあった後、すぐに町内会のジャンバーを羽織り、小学校へ駆けつけて子どもたちの安否確認や地域の皆さんの避難誘導を行いました。さらに、私たちの町では一人暮らしの高齢者の方や支援を必要とする方など、いざという時に助けが必要な方の名簿を作っていたので、その方々の安否確認も行いました。マニュアルがあったので、落ち着いて行動することができました」
これは後に「福住町方式」として全国に知られることとなる。想定外の大地震にも関わらず迅速に行動できた理由は、日頃からの防災訓練と、防災・減災への高い意識だ。仙台市内外の町内会・グループとの「災害時協力協定」を結んでいたのも、当時としては珍しい福住町ならではの取り組みだった。これにより、物資支援や人的支援、情報提供といった災害時のサポートをいち早く整えられたという。「福住町は震災前から他地域との独自のネットワークを構築していたので、早い段階で支援を受けられました。行政の支援を待たずに炊き出しを行うこともできました。さらに、大船渡、気仙沼、女川などの被災地に支援物資がなかなか届いていないという状況を知り、他の避難所に町内会長のマイクロバスで届けに行くこともできたのです。自分たちがこれまで当たり前にやってきた訓練が、災害時にしっかりと役に立つことが分かりました」
震災前から独自の防災マニュアルや名簿を作成し、震災時に円滑な避難誘導や避難所の運営を行った福住町は、その先進的な取り組みが評価され、2019年に防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞した。

避難所で活躍する女性たち

「当時、私は福住町内の集会所や、近くの指定避難所である高砂小学校の運営を行いました。防火・防災訓練は日頃から行ってきましたが、ここまで規模の大きな避難所運営は初めてでした。実際に避難所で活動してみると、女性の視点が圧倒的に足りないということに気づきます。その時の町内会長や自主防災組織の役員たちはほとんどが男性で、既存の防災マニュアルに関しても男性視点であるところが多かった。そうすると、現場でしわ寄せを受けるのは妊婦や幼い子どもなどのいわゆる“災害弱者”の皆さんです」
避難所に更衣室や授乳室がない、トイレが男女別になっていないなど、配慮が行き届いていないことに気づいた大内さんは、女性が中心となって避難所を運営することでこれらを改善していった。「例えば救援物資についても、女性用の生理用品を受け取りに行きづらい、赤ちゃん用の粉ミルクはあるけれどお湯がないからミルクを与えられない、などの悩みが多くありました。避難所はとても寒いので、自力での体温調節が難しい乳幼児はたちまち凍えてしまいます。ですから、私たちは乳幼児を持つ家族を集会所へ避難させ、せめて暖かい部屋で温かいミルクが飲めるようにと手配しました。ただでさえライフラインがストップし、真っ暗な体育館で何千人もの人々が不安な夜を何日も過ごすことは想像を絶するストレスですからね。そういった細かな部分への気配りに長けていたのはやはり女性でした。もちろん、男性の運営を否定しているわけではありません。災害時は男女それぞれの視点を尊重しながら、助け合うことが必要だと考えています」

Photo
「避難所運営において女性目線の配慮が必要なシーンは多々ありました」と大内さん