STORY 02

仙台フィルやフリーランスの音楽家の
意志と音楽が復興を後押しする。

STORY 02はコーディネーターの伊藤み弥さんにお聞きしました。

音楽家の層が厚い地域性

コーディネーターとして裏方に徹する伊藤さんは、多くの現場を目にしてきただけに震災から9年経ったいま、感慨もひとしおだ。「プロの音楽家とともに昔なつかしい歌を楽しむ歌の会をいくつかの復興公営住宅で定期的に行なっていますが、とても好評です。2014年10月、仙台市宮城野区の田子西市営住宅で始まった『うたカフェ』は現在も行われ、親しまれています。町内会の集会などに滅多に顔を出さないけれど、この歌の会には欠かさず参加するという方もいらっしゃるようです。田子西のうたカフェでは、町内会長さんが近隣にお住まいの人にもお声掛けして、地域に歌の輪を広げてくださっています」
歌の会が新しいコミュニティーとなり、和気あいあいとした交流の場になっている。

震災直後は仙台フィルのメンバーが率先して復興コンサート活動を行なっていたが、その後はどうなのだろう。「震災から時間が経つにつれて、仙台フィルはオーケストラ演奏会など通常の演奏業務が増え、スケジュールの調整がだんだん難しくなってきました。しかし、幸い仙台にはフリーランスの音楽家がたくさんいらっしゃるので、当センターの活動は滞りなく続けることができています。これは仙台ならではの特長だと思うのですが、音楽家の層がとにかく厚い。仙台が誇れる文化資源と言えるのではないでしょうか」

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音楽が復興公営住宅で暮らし始めた被災者の心を癒やす(2014年 仙台市にて)
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住民同士が歌って交流を深める「うたカフェ」も盛況だ(2015年 仙台市にて)

様々な取り組みと課題

センターは2012年の一般財団法人化を機に「音楽の力による復興センター・東北」と改称。そのタイミングで伊藤さんが参加し、コーディネーターを務めることになった。当時、スタッフは2人だけ、事務所は物置を改装したものだったと言う。現在は6人となり、少数精鋭で様々な取り組みをコーディネートしつつ、それでも自分たちの活動を周知する難しさは日々痛感していると言う。「もっといろいろなところに出向きたいのは山々なんですよ。しかし我々の活動を知ってもらうのは、結構難しい。自治体や震災支援組織にお知らせしても反応が鈍かったり、担当者によっては『音楽なんかやってる場合じゃない』とけんもほろろなこともありました。一度訪れたところは大抵『また来てください』となるのですが、初めてコンサート等を開く(開拓する)のが難しい。これは今後も大きな課題です」

「私たちは原則的に押しかけることはしません。受け入れてくれる方がいて、はじめて私たちの活動が始まります。震災後、いろいろな団体が慰問のため被災地を訪れました。その結果、現地では慰問疲れも起きました。私たちがその轍(てつ)を踏んではいけません。これは肝に銘じています」

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コーディネーターを務める伊藤み弥さん

ジャンルを超えて、心を結ぶ

クラシック音楽を高尚なもの、敷居が高いもの、と誤解している人も少なくない。「沿岸部のある町で『俺は演歌しか聞かないからクラシックは興味ない』と言っていたおじさんが、終演後に『クラシックもいいもんだな』と笑顔で言ってくださったことがありました。狭い集会所ではお互いの表情や息づかいがダイレクトに感じられます。聞いたことのない曲だとしても、目の前で渾身の演奏をする音楽家の、本気の姿に感動するんですね」
また、震災を境にして演奏する側の気持ちもだいぶ変わったと伊藤さんは言う。「いま目の前にいるこの人に向かって演奏しているのだという意識が明確になったので、芸術のための音楽というよりは、誰かと心を通わせるための音楽になったように思います。だから、演歌好きのおじさんにもきっとその気持ちが伝わったんでしょうね」

復興公営住宅での音楽活動を通して、歌うことの喜びを知った住民に感動させられたエピソードがある。「月1回の歌の会を盛り上げようと町内会の方々が会場の飾りつけをしてくださったり、引きこもりがちだった方が率先して準備や片付けをしてくださるようになったり。そんな光景を目にすると、この仕事をやっていて本当に良かったとやり甲斐を感じます」 ある公営住宅では「合唱を教えてほしい」と依頼されたケースも。「町内会の敬老会で合唱を披露して、とても喜ばれたそうですよ。あらかじめ意図していない、こんなことが様々なところで現れ始めていますね」 音楽との新たな出会いが、交流の輪をどんどん広げているようだ。

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コンサートの合間のトークでぱっと笑顔に(2014年 気仙沼市にて)
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集会所でともに奏で、歌う。次第に一体感が生まれてくる(2015年 気仙沼市にて)
STORY 03

人と人との交流を通じて得られる
幸福な体験が元気の源に。

STORY 03は代表理事の大澤 隆夫さん、コーディネーターの伊藤み弥さんと千田祥子さんにお聞きしました。

スピード感と臨機応変な対応が大切

大澤さんがモットーにしたのは、スピード感だ。「震災当時、歌舞音曲はやっちゃいかん、といった自粛ムードがありました。それでも私たちはすぐ活動をはじめました。心が折れる前に支えになりたかったから。悩みを抱えながら我々の活動はスタートしましたが、音楽には人を元気にする力がある、といまは自信を持って断言できます」

コーディネーターの伊藤さんが心がけているのは臨機応変な対応力だ。「現場では予期せぬことが起こりがち。復興コンサートの会場となる集会所は音楽ホールとは環境が全然違います。道路を行きかうトラックの騒音がする、窓から外光が差し込む、床が畳敷きだ、雨が降れば屋根のトタンが鳴るなど、いろいろあります。それでも最善を尽くすのが私たちの仕事。問題が起きた時、その都度皆で知恵を出し合い考える。日頃から築いてきたチームワーク、パートナーシップがこういう場面で役立つものです」

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演奏家は楽譜と楽器を携えて現地に駆けつけた(2011年 石巻市にて)
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畳敷きの小さな集会場で美しい音色に酔いしれる(2013年 仙台市にて)

コロナ禍での安全確保も

2020年は新型コロナウイルスが猛威をふるい、音楽の力による復興センター・東北の活動にも少なからず影響を及ぼした。「現在は、検温や消毒、距離を空けるなど感染症対策をしっかり行いながら活動をしています。いま大学や音楽メーカーなど、様々な研究機関が演奏や歌唱における飛沫の実験を行なっていますが、それらの実証データを会場設営に活かしています」と伊藤さん。スタッフ一同が神経を隅々まで配っているおかげで、安心して音楽に耳を傾けることができる。

コロナ禍は別の問題も引き起こしている。「あちこちから『こんな時だからこそ歌や音楽で元気になりたいんだけど、みんな怖がっちゃって集まること自体ができない状況なんだよ』という声があります。住民の交流の機会を失って悩んでいる町内会長さんも多い様子ですし、何より高齢者の孤独化が進んでいるのではないかと心配です」また、感染への不安や不満が加速させてしまった人間不信の風潮は全国的に広がっている。「こういう時こそ生の音楽が必要なのに、と歯がゆく思います。音楽を通じて育まれた小さなつながりが積み重なって、遠回りでもいいから、街や社会を居心地の良い場所に変えてゆくきっかけになっていってほしいと願わずにはいられません」と伊藤さんは言う。

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コンサートの合間に、楽器を手に取りおしゃべりする光景も(2013年 仙台市にて)
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ウィズ・コロナの現在は演奏も安全を確保して

センターが果たす役割と意義

音楽の力による復興センター・東北は岩手・宮城・福島など自治体等からの助成金を受け、各方面からの寄付により運営されている。同様の取り組みを行っている団体が他にないことを大澤さんは意外に思う。「当センターの活動が広まって、他の地域でも同様の組織が立ち上げられるだろうと思っていましたが、現在も活動を継続している団体の話はあまり聞きません。100人規模の音楽家をコーディネートしたり、マネジメントするノウハウが他地域ではなかったのかもしれません。仙台フィルに室内楽のニーズが元々あったのも大きかった。少人数の楽団員が復興コンサートへ出かけるのに違和感を覚えなかったのには、そのような下地もあったからです」

伊藤さんと同じくコーディネーターを務める千田祥子さんは、震災から時間が経つにつれて、聴く側にも変化が生じていると感じる。「私は2013年3月から当センターで働いていますが、音楽を聴く方々に笑顔が増えてきているのを実感します。当初は祈りの曲や鎮魂の曲のように静かな音楽が多かったのが、徐々に聴き手が明るい気持ちになれるような曲をリクエストされるようになったのも一因でしょう。同じ場所で一緒に音楽を聴くことで、人の心はほぐれるもの。ここが他の芸術とはいちばん違うところですね」

震災後に全国からオーケストラを招き、被災地を支援した公益社団法人日本オーケストラ連盟では、現在、災害時において音楽が役立てられるひとつのモデルケースとして、音楽の力による復興センター・東北の取り組みを全国のオーケストラで共有しようとする動きがある。「詳細はこれからですが、被災地における演奏家コーディネートのノウハウをシェアする仕組みづくり等が検討されているようです。ただ、それが単なるマニュアルだとしたら意味はない。被災状況に加えて地域性もいろいろありますから。もっとも、被災地の仙台でこんな取り組みが実際に行われたのだ、ということが全国に発信される意義はあると思います。将来、私たちが取り組んできたことが他の地域で役立った、と聞くことができれば何よりです。10年近く活動を続けてきて、音楽は、人の心にも体にも、そして人と人とのつながりに対しても具体的な働きをすることがわかりました。今後も復興コンサート活動を地道に続 けていき、まだ行ったことのない地域の方々にも音楽を届けられるよう頑張っていきたいですね」と伊藤さん。震災後10年は決して節目ではない。復興センターの歩みは続く。

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取材に応じてくれた千田さん、大澤さん、伊藤さん(左から)