情報発信が活発に行われる反面
避難所では思わぬ事態も。
まずラジオから情報発信を
震災直後からセンターではあらゆる方法を駆使して、外国人に対して情報発信を繰り返した。ブログによる発信は日本語89回、英語95回、中国語73回、韓国語68回を数える。メルマガ配信数も日本語85回、英語82回に上った。「仙台市災害対策本部から日々送信されてくるFAX情報を、仙台国際交流協会(当時)の職員が取捨選択。それをボランティアや留学生たちが多言語化してインターネットやラジオ、避難所の掲示板等で発信していきました」
多言語による情報を必要としている人がいる。いち早く情報を発信しなければならない。まず何から始めようか、と考えた時、真っ先に浮かんだのが停電でも聞くことができるラジオだった。震災前の2005年よりDate fmと協会は防災啓発番組“Sunday Morning Wave”内で外国人ゲストを紹介し、外国語で防災アドバイスを放送するという企画“GLOBAL TALK”を行っていた。「発災時は協会の職員と仙台国際センターに自発的に集まっていた留学生数名とラジオ局に向かい、Date fmの協力のもと、外国語による余震や津波への警戒の呼びかけを行いました」
Date fmのラジオ放送ではスタッフ、ボランティアが英中韓で収録を行った
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臨機応変な対応が求められた
仙台市が多言語支援センターの設立以前より取り組んでいたものがある。仙台市災害時言語ボランティアだ。「2000年6月、災害時十分に情報を得にくい外国人に対して、情報を通訳して提供することで支援する市民ボランティアを育成し、災害に備えた人的資源の確保を目的に発足しています。登録は年度ごとに行われ、毎年度60〜80人程度が登録しています。平時は研修会、防災啓発事業へ年3〜4回程度参加し、地域で行われる防災訓練等での通訳活動(年3回程度)に従事しており、災害時は災害関連情報の翻訳や仙台市災害多言語支援センターの活動に協力します。東日本大震災の際は延べ184人の災害時言語ボランティアが参加しました」
ただ、誰もが被災してしまった状況下では、彼らボランティアもなかなか集まることができなかった。そのような中、力になってくれたのが協会の交流事業などに普段から協力していた各国の留学生たち。彼らの強みは震災により授業が休講になり、単身の人も多く、比較的身軽だったこと。発災直後、仙台市から24時間対応してくださいと要請された際はとても助かりました。彼らの協力があったおかげで、初動対応がスムーズに行えました」
ボランティアを対象に実施された救急訓練風景
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外国人住民も参加して行われた片平地区防災訓練
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避難所で浮き彫りになった問題点
センターでは複数言語で対応できるチームを編成し、外国人避難者が多い避難所や施設も定期的に巡回した。「避難所巡回は1日に朝夕の2回程度実施しました。巡回先は市内中心部の大規模な指定避難所、市民センター、留学生会館、店舗、市営住宅、教会・モスクなど、外国人の避難が多いと想定される場所を選定。巡回は3月12日〜29日の間、延べ55回行いました」
避難所では、平時にはあまり表に現れない壁があらわになった。「非日常的な避難所生活の中で、言葉や文化、生活習慣が違う人たちが一緒に過ごさなければなりませんでした。コミュニケーションの問題から、外国人避難者に対して誤解や偏見を持つ人もいました。『外国人はマナーが悪い』『若いのに何もしない』『外国人のせいで本当に支援が必要な人が避難できない』などです。小さな摩擦はあちこちで起きていたと思います」
災害に対する認識の溝を埋め
外国人との共存を目指したい。
ストック情報をどう伝えるか
仙台市の外国人住民数は2020年4月30日の時点で13,817人を数える。震災直前の2011年3月1日に10,271人だったのに比べると、震災時より3,546人増加した。震災後、帰国するなどして2013年4月末時点で9,148人にまで減少した外国人住民数はその後右肩上がりに増加している。「いまや仙台市では約100人に1人が外国人。そのうち留学生の占める割合は1/3です。震災前ベトナム人やネパール人はそれほど多くありませんでした。近年彼らが増えているのは仙台に限った話ではありません。全国的な傾向です。最大の理由は日本の少子高齢化。労働人口の減少から、外国人を労働力として受け入れることが加速しているのです」
日本人と外国人とでは災害に関する知識も心構えも全く違う。その溝をどうやって埋めていくかも今後の課題だ。「外国人に日本の災害について伝えるのは難しい。災害に関する基本的な情報や知識『ストック情報』が、外国人は乏しいからです。たとえば日本人だったら、小さい時から『地震が起きたら机の下に』と言われて育ちますが、そうした習慣はない。来日したばかりの人たちは、地域の地理に詳しくないので、危ない場所がわからない。小中学校が災害時に避難所になることも、備蓄品がもらえ安全に過ごせることもわかりません」
震災遺構仙台市立荒浜小学校を訪問するなど、仙台市沿岸部の視察研修も行われている
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震災時の教訓を明日に生かす
日本は世界の中でも災害が非常に多い国だ。「逆に自然災害があまりない国も多い。そうした国から来た人たちは、災害についての経験やイメージがありません。地震を初めて経験した外国人の中には、『地面が揺れて面白い』という感想を持つ人もいます。日本人が『地震が怖い』と思うのは、地震にともなう様々な被害を教育や経験を通して知っているからです」
ひと口に多言語と言うが、日本語の情報をそのまま機械的に翻訳しても伝わらないものだ。「避難情報は簡潔な文章になっていますが、これは様々なストック情報を理解している日本人向けに作られています。ストック情報が不足している外国人住民には、ハザードマップや避難所について学ぶ講座を行うなど、事前に大事な知識を身に着けてもらうように取り組んでいます」
「センターが発信するだけではなかなか情報が伝わりにくいのも、震災で気づかされました。同じ国の人同士で伝え合うのに勝るものはありません。外国人コミュニティとの連携も重要になります」
仙台駅で実施された外国人の帰宅困難者対応訓練
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青葉区中央市民センターで開催される日本語講座では、防災に関するプログラムも行われている
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外国人は社会の一員という認識で
近年コンビニの店員は外国人が多くなった。これは一例に過ぎない。現代社会において外国人は間違いなく労働力の一翼を担っているのだ。「コンビニに限らず便利な社会を成り立たせている様々な業種で、多くの外国人が働いています。彼らを労働力として見るのではなく、地域で共に暮らす人たちとして考えていく必要があると思います」
外国出身者をよそ者ではなく、社会の一員として受け入れていくことが重要だ。「仕事を持ち、家族と暮らし、定住していく外国出身者はこれからも増えていきます。職場や学校、ご近所で、様々なすれ違いや摩擦が起こると思います。それらを乗り越えて新しい地域づくりを行っていくことが、災害に強いまちづくりにもつながっていくのではないでしょうか」と堀野さんは力強く締めくくってくれた。
東日本大震災後、仙台市災害多言語支援センターは2015年に起きた関東・東北豪雨、および2019年10月の令和元年東日本台風(台風19号)でも設置されている。
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