キーパーソンインタビュー

社会の一員としての外国人に、
いち早く正確な情報を伝えていくことの重み。
公益財団法人 仙台観光国際協会 国際化事業部 国際化推進課 企画係
堀野 正浩さん

現在仙台市で暮らす100人に1人は外国籍の人たちだ。国籍は100か国以上に及ぶ。
堀野さんは外国人住民に対してさまざまな支援を行う仙台観光国際協会の一員だが、同協会はひとたび大規模災害が起きると「仙台市災害多言語支援センター」としての役割も担う。
異なる文化の人たちと共存・共生する現代社会で、われわれは震災から多くの教訓を学んだ。

STORY 01

災害経験の少ない外国人が被災した際
必要な情報を多言語化して提供する。

仙台市は大きな災害が発生すると、「仙台市災害多言語支援センター」を仙台国際センターにある「仙台多文化共生センター」内に設置する。センターの運営は仙台市より委託を受けた公益財団法人 仙台観光国際協会が関係機関やボランティアの協力を得ながら行う。「東日本大震災の1年前、大規模災害発生時に言葉や習慣の違いから情報を入手しにくく支援を受けられない恐れのある外国人、または災害経験が少ないことから精神的な不安を抱えている外国人のために、必要な情報を多言語化して提供し支援することを目的に、仙台市災害多言語支援センターが設けられることになりました」

きっかけは2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震だった。「この時、現地に設置された柏崎災害多言語支援センターの活動内容が高く評価され、仙台市でも災害時の外国人支援策として検討が始まることになりました。2010年3月、センターの運営は指定管理業務として当協会が担うことになりました。つまり震災の一年前、大規模災害が発生した際には災害多言語支援センターを立ち上げることが既に決まっていたことになります。そのため発災当日からセンターの活動は始まりました。当時は、この災害がその後どのくらい長引くのかもわからず、その日その日のことに対応していきました」
震災により通常業務(外国人の相談、イベント、日本語教室など)ができなくなり災害対応に集中することになった。「何もかも初めての経験で手探り状態。皆、無我夢中でした」

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仙台市災害多言語支援センターが設置される仙台国際センター
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「仙台市多文化共生センター」の入り口

情報不足が不安と混乱を招いた

宮城県沖地震をはじめ大きな地震を経験したことのある日本人ですら大変な思いをしたあの時期、外国人の混乱は想像に余りある。「いま、何が起きているのかわからないというのは怖かったと思います。しばらくの間ライフラインが損なわれ、停電に伴いテレビやインターネットが使えず情報が得られなくなった影響が大きかった」

福島の原発事故も想定外だった。日々刻々と変化する情報は錯綜し、恐怖をあおり立てるようなデマが流れる不測の事態も発生した。「原発事故に関しては、母国メディアからもたらされる情報と、日本国内での情報に大きなへだたりが生じ、日本政府の発表やマスメディアに対する不信感を持つ人もいました。情報の温度差が日本人との間で摩擦を引き起こすこともありました」

支援活動は延べ51日間に及んだ

発災直後から仙台市災害多言語支援センターは様々な障害を乗り越えて活動を展開していった。「センターとしての活動期間は2011年3月11日〜4月30日の期間、延べ51日間でした。運営時間は3月11日〜16日は24時間体制で臨み、その後徐々に縮小。人員体制は、協会職員・仙台市職員を中心に、仙台市災害時言語ボランティア延べ184人、関係機関からの応援スタッフ延べ95人、一般ボランティア延べ6人により対応しました」

発災時、市内で暮らす外国人の出身地は100か国以上に及んだ。「対応言語は日本語、やさしい日本語*、英語、中国語、韓国語等さまざま。仙台市の場合は大学生や日本語学校に通う学生など若年層が多く、中でも滞在歴1年未満の場合は日本語があまりできない。日本人とのつながりが希薄な人も大勢いました」

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停電していても電話相談対応が可能に
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目の前に貼り出された各種情報を確認しながら対応するスタッフ

*やさしい日本語:難しい言葉を言い換えるなど、日本語に不慣れな方などに配慮したわかりやすい日本語のこと。