STORY 02

時間の経過とともに見えてくる
変わらないもの、変わっていくもの。

それぞれが向き合う震災の記憶

震災の記憶を語り継ぎ、次世代への希望をつなぐ朗読会は、少しずつ変化を遂げていく。監督とともに台本作成も手掛ける野田さんは、その変化についてこう語る。「朗読会がスタートして、1年目、2年目は生々しい傷跡を見ているような、苦しみのさなかにあるような体験文がほとんどでした。変わり果てた姿で見つかった家族への悲しみ、何もかもを失ってしまった絶望感など、行き場のない感情が文章からあふれ出すようでした。ですが、時の流れとともに少しずつ悲しみと向き合い、前を向こうとする気持ちが生まれる方もいます。体験文は毎年追加されて、その回ごとに内容を選んで朗読会で披露するので、人々の心の変化がよくわかるんです」
悲しみとは別の視点が生まれ、自分なりの震災との向き合い方を見つけていく方も少なくないという。

一方で、震災直後は心の整理がつかず、具体的な文章を書くことができないという方たちもいた。「ある方は悲惨な体験を誰にも話さず、心の中にしまいこんでいました。とても気軽に話せるような記憶ではありませんからね。7年、8年経ってようやく書くことができたという体験文は、何度読ませていただいても、胸が痛くなります。時間が経ってもここまで鮮明に思い出せるとは、今までどれほどつらかったことか」
野田さんは、体験文を書くことは、書き手にとっても心の整理になると考えている。

「また、お兄様とお父様を津波で亡くされた方がいらっしゃいました。震災後しばらくは慰めやお悔やみの言葉をかけられるたびに気持ちが荒み、誰とも話をしたくなかったと言います。その方が原稿を引き受けてくださったのは震災から9年が経ったころ。心の整理に9年という時間を費やしたのです。書いてくださった体験文には、誰かも判別できないご遺体が見つかったこと。DNA鑑定でようやく身元がわかり、お骨となって帰ってきたことなどがつづられていました。私たちには想像もできないつらい出来事だったはずです。これこそが風化させてはならない震災の記憶。勇気を出して書いてくださったことに感謝し、大切に扱わなければと思いました。読み手である私たちは、被災者の方々の思いに寄り添いながら、いつもいろいろなことを学ばせていただいています」

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朗読会は活動開始から9年目に突入。公演の数だけ台本がある

沿岸部の防災について

震災によって傷を負った方々と向き合い続けてきたふたりの心は、常に防災への思いとともにある。佐藤さんは、自身も被災していたことや、体験文集の編さんに携わったことなどから、2016年に津波避難施設の検討委員として仙台市の会議に参加していた。「私が暮らしていた沿岸部には、高い建物がほとんどありません。それに、お年寄りが多いので、階段しかない避難施設へ避難するのが難しいのです。車椅子の方もスムーズに避難できるよう、避難所にスロープをつけたらどうかという提案をさせていただきました。また、津波がきたら歩いて避難をするべきと聞いていましたが、やはり実際は車で避難しようとする方が本当に多かった。当然のごとく渋滞になり、津波が迫る中で車を乗り捨てて避難する方もいれば、そのまま車ごと流されてしまった方もいました。その光景を目の当たりにしたことで、避難道路の整備の重要性も訴えました」
佐藤さんをはじめとする多くの人の尽力により、沿岸部に避難タワーができるなど津波防災対策が進められた。

コロナ禍を乗り越え、思い新たに

「震災から10年を目前にして、再び私たちの予想を超える災害が起こりました。新型コロナウイルス感染症です。これまで毎年3月に行ってきた『朗読のつどい』も、感染拡大防止のために中止にせざるを得ませんでした。それ以外にも、毎年8月に勾当台公園で行われてきた『せんだい防災のひろば』など、予定していた催しがことごとく中止になってしまいました。なかなか活動できず非常に歯がゆい思いをしていましたが、最近少しずつ再開の兆しが見えてきたように思います」 野田さんは、休止していた婦人防火クラブの活動を夏頃から徐々に復活させているという。また、「朗読のつどい」も、次の3月には行うと胸に誓っている。「節目の年ですから、どのような形であっても開催したいと思っています。新型コロナウイルスは未知なる病ですが、正しく恐れるということを念頭に置き、スタッフ全員でしっかりと感染防止策を行っていきます」

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朗読会の拠点でもある仙台市宮城野区文化センター パトナシアター
STORY 03

必要なのは次世代への継承。
活動は新たなフェーズへ。

防災教育の必要性

「お声がかかれば県内・県外問わず、どこへでも足を運んで朗読会を開きたい」と語る野田さん。沿岸地域だけではなく、海がない県にも震災の教訓を伝えたいと話す。「海がなくても、地震はあります。恐ろしいのは津波だけではありません。『一編だけでもいいので私たちの朗読を聞いてもらえたら』そんな気持ちで活動しています」

朗読会と並行し、婦人防火クラブの活動も行っているふたり。未曾有の大災害を経て、芽生えたのは防災教育の必要性だ。「津波の被災地であり、避難所にもなった高砂中学校の先生は、防災訓練の日には必ず生徒を連れて参加してくれます。車椅子を押す練習をしたり、地域の清掃活動をしてくれたり。学校として積極的に防災教育に取り組んでいるので、子どもたちの防災意識も高いのです。子どもの頃にしっかり学んだことは、大人になっても覚えている。バケツリレーや救命講習などを早いうちから教えておくことが大切です」
日頃から防災について意識を持っておくことで、いざというときに正しく行動することができるという。

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「先生の防災意識が高い学校は、子どもにもその思いが伝わっています」と野田さん

震災を知らない子どもたちへ

では、震災から10年目以降の活動について、ふたりはどのような思いを抱いているのだろうか。野田さんは、「朗読のつどい」の継続と、運営体制の世代交代について語る。

「実は、この朗読会が震災行事として行政に認知してもらえるのは10年がめどではないかと危惧していました。私としては、朗読会を通じて震災の教訓をもっとたくさんの人に伝えていくべきだという思いがあり、活動の認知と今後のサポートを仙台市へ訴えてきました。ありがたいことに賛同を得たので、これからは、若いスタッフに朗読会の意義やノウハウを伝え、運営を次の世代へバトンタッチしたいと考えています」

同時に、子どもたちとの関わり方についても強い思いがある。「文集には子どもの体験文や詩も掲載されているので、小学生や中学生、高校生にも朗読に参加していただいています。やはり子どもたちの声で読まれると、希望を感じるというか、明るい気持ちになりますね。また、読み手となる子どもたちにとっても、体験文の朗読は得るものが多いと思っています。小学校低学年の子になると、震災当時はまだ生まれていません。幼かったために震災の記憶がほとんどない子もいます。震災を知らない世代の子どもたちも、体験文に触れることで、あの日、この町で何が起きたかを知り、防災について考えるきっかけになる。今後も積極的に朗読に関わっていただきたいと思っています」

佐藤さんは、小・中学校での朗読会実施への意欲を見せる。「ゆくゆくは、震災の記憶がない、または薄れゆく子どもたちに向けても、朗読会を行うことを考えています。今までは、子どもたちへの心理的負担を考えて記憶を呼び起こすようなことは控えていましたが、もうそろそろ、そういうアプローチをしていく時期なのかもしれないと感じています。実際に避難所となった学校で行うときは、先生の体験談を話していただくのもいいかもしれません。私たちにできることは次の世代へバトンをつないでいくことですから、やれるだけのことを精一杯やっていきたいと思います」

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「これからも朗読会を通じて多くの人へ思いを届けたい」とふたり