防災を実践するのは人だから、
人から人へ語りかけて伝えたい。
平野部における津波被害
今村教授と仙台市は、震災前から防災対策について連携関係を築いていた。「とくに津波の避難体制であったり避難情報について検討させていただいていました。たとえば、荒浜の海水浴場の利用者に対する津波や避難についてのアンケートの実施。小学校に向かってどのように避難経路を整備したらいいのか。また津波避難看板(ピクトグラム)というものをつくって住民の方にも見ていただき、視認性の実験もしていました」
津波に関する防災について対策は行われていたが、当時想定していたのは宮城県沖地震だったので、被害エリアの予測がまったく違っていた。「まさか海岸から5キロメートル以上離れた仙台東部道路まで津波が到達するとは、残念ながら想定できませんでした。平野部における津波は、三陸のようなリアス式海岸の場合と異なり、津波が上陸しても増幅されにくいため、波の高さは低く、浸水範囲も限定的であると従来は予測されていました」
しかし今村教授の調査では、仙台市若林区の荒浜地区において大震災での津波の高さは10メートルに達していたことがわかった。「平野部で津波に襲われたら、どこに逃げたらよいのか、安全なところに逃げるという行動が難しいのです。仙台平野に侵入した津波は仙台東部道路の盛土のところで止まりました。このあたりの高台はここしかありません。実際にこの道路に避難して助かった人が多くいました」
震災後は、復興プランと防災計画の策定について今村教授の協力を得て進められた。「防災計画は多重防御の考え方が基本でした。道路のかさ上げ、津波避難施設の整備、仙台東部道路の緊急避難場所(避難階段の新設)としての活用など。それから防潮林は残念ながら破壊されたのですが、うまく利用すればかなり強靭になるだろうと考えました。様々な対策を組み合わせて安全を力強く守る計画になったと思います」
丁寧に時間をかけてきた防災教育
それに加えて大切なのは、自然災害とその対応というものをきちんと理解すること、だという。「一人ひとりの課題として何ができるかを考えることが大切なんだ、ということを様々な場で繰り返し話してきました。大人はもちろんですが、これからの社会を担っていく子どもたちに、そうした理解をしてもらうことが大切です」
より視野を広げた災害科学の研究とともに、多くの時間をかけてきたのは、「防災教育」「防災啓発」。国内外のさまざまな関係機関での講演などのほか、地元仙台市を中心とした防災教育の活動を数多く行ってきた。「学校で使う防災についての副読本やコンパクトな防災手帳をつくったり、実際に小学校や中学校に出かけて出前授業もしました。それから防災ハンカチというのもつくりました。ハンカチを常用する人が多いので、そこに防災のポイントをプリントしています。子どもたちがそれを持つことで意識づけになります。学校で授業をした後にプレゼントするのですが、家に帰ってから、おとうさん・おかあさん・おじいちゃん・おばあちゃんに今日の話をしてね、と防災の話のきっかけづくりにもなったかと思います。大人の皆さんへの防災講座も数多く開催しています。毎週日曜日朝には、地元FM仙台局で防災に関する啓発番組を続けています。始めてから16年になります。これらは、ずっと続けなければいけないものだと思っています」
人が人に語りかけて伝える防災
防災の基本として、気にとめておかなければいけないことはどんなことだろうか。「2つあるかと思います。1つは、“備え以上のことはできない”ということです。さまざまな突発的な災害が起きて、自治体などが対応していますが、きちんと備えていたところは一定程度対策できていることになるので被害は軽減しています。しかし、やはり備えていないところ、いざという時もなんとかなるだろうというところは、残念ながら被害が拡大しているんですね。もう1つは、“災害は進化する”ということです。東日本大震災は私たち人類が経験していないような未曾有の災害だったわけですが、最近の台風や豪雨もそうですね。土地利用や住み方が違ってきたり、私たちの生活様式が変化してきているので、それに伴って、受ける影響や被害形態も変わってきました。より被害が拡大する傾向に進化しています。それらを踏まえて私たちは備えをし、いざという時の対応をしなければいけない、ということになります」
では、防災の学びをどのように伝え、広げていけばいいのだろうか。「まず経験や教訓を伝えるのは“人から人”です。文字で伝える場合もありますが、やはり言葉で伝える“語り”はとても重要です。同じ事柄であっても人から人に語ることによって、その内容の伝わり方が違います。子どもたちへの出前講座に行ったり、市民の皆さんへの講座を開いたりしているのも、そのような気持ちからです。防災に対する実践をするのも、やはり人なんです。人がいろいろな準備をしたり、地道な積み重ねをしたり、時間と予算も確保して、いろいろな人たちと協力していろいろなものをつくっていくわけで、これに尽きるのかなと思います」
2018年、世界銀行で行われた防災についての講義
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今村教授が作成に関わった小中学校用仙台版防災教育副読本、防災手帳、防災ハンカチ
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被災地仙台発、世界標準。
“BOSAI”から広がる未来ビジョン。
世界語になった“BOSAI”
仙台市はこの10年、復興というあゆみを着実に進めながら、一方で防災についての対策を確実に積み重ねてきた。これからさらに未来に向けて防災の意識を持続させていくためには、どのような考え方が大切なのだろうか。
「まずは荒浜小学校のような震災遺構を活用しながら、当時の経験と教訓をしっかり伝えていくこと。行政の職員をはじめ、様々な関係者も担当が代わっていきますので、当時の体験談や今後起こるかもしれない災害への対応も、一人ひとりがみんなと一緒になって学んでいただきたい、学ぶことをつないでいってほしいと思っています。もう1つ、民間のチカラが必要です。防災に関する産業はわが国であってもまだまだ発達していないと思っています。いわゆる防災というのは、行政が予算をつけて行政が実施するかたちになっていますので、民間の企業がある一定のビジネスとして成り立つような産業にはなっていないんです。そのために広がりが十分ではない。しかしそこがなければすそ野が広がりませんし、新しい技術も生かされません」
このテーマは、いかに新しい防災産業を興すのかということを超えて、防災に関わる基準の国際標準化ということも視野に入れながら、世界で認知される基準や考え方を日本から、仙台から発信していきたい。そうすることで逆に世界から日本への反響も生まれてくるだろうというビジョンにつながっている。「企業やいろいろな方が収益が得られる産業として、防災を継続していただきたいという狙いです。この仕組みを仙台市と関係の皆さんと連携してつくっていこうと、実はその第一歩が始まっています」
これは「防災 ISO」という構想。災害科学国際研究所は2020年1月、仙台市、経済産業省などと国内準備委員会を設立し、防災 ISOの必要性や現行制度の課題を提案にまとめ、検討をするための国際委員会に提出された。「防災 ISO」とは、例えば自治体ごとにハザードマップの配色が違っていたり、避難所運営の仕方に地域差があることなどに対し、国際標準を定めて国内外の備えと防災力向上に役立ててもらうというもの。
2015国連世界防災会議を受けて開催された2017年日仏防災会議にて
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世界防災フォーラムと隔年で連携開催している2018年ダボス防災会議にて
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仙台と世界がつながる未来へ
「“仙台市BOSAI-TECHイノベーション創出プログラム”という取り組みも始まっています。“防災×IT”をテーマに新規事業を生み出そうという意欲をもつ事業者を募集し、防災意識の高い企業同士、しかも海外の事業者と地元の企業がコラボしながら、新しい技術を防災に生かそうという試みで、仙台市と情報交換しながらいろいろな検討をしているところです」
2015年に第3回国連防災世界会議が仙台で開催され、国際社会での防災の目標が「仙台防災枠組」というかたちでまとめられた。以降、世界防災フォーラム(WORLD BOSAI FORUM)が2017年、2019年に開催され、BOSAI が世界レベルで議論されるようになった。「2030年までにSDGsやパリ協定と一緒に3大アジェンダ*ということで活動をしています。仙台から出発した動きが、いま地元と世界がつながりあって、防災の取り組みが大きく広がりつつあります。この動きを私たちは、一緒に支え、より力強い未来につなげていければと考えています」
*アジェンダ:行動計画、行動目標などの意味で使われる。1992年、国連の環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)で採択されたリオ宣言「アジェンダ21」から一般に使われるようになった。
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