未曾有の災害にいくつもの分野が結集した学際研究で挑む世界的研究所のリーダーであり、また大人にも子どもたちにも丁寧に防災の学びを教えて回る教育者でもある。
災害とは何か、あらゆる角度から研究し検討を加えてきた今村教授は10年を乗り越えたその先に、どのような防災の明日を見つめているのだろうか。
かつて幾度も訪ねた沿岸のまち。
変わり果てた姿に、言葉を失った。
あの日、東京出張の2日目。前日の3月10日は、東北大学工学研究科附属災害制御研究センター教授として気象庁主催の「津波防災シンポジウム」で基調講演を行った。「約1年前のチリ中部沿岸地震で発生した津波が日本にも押し寄せましたが、大津波警報を出しても、なかなか避難に結びつかない。これをどのように改善したらいいかということを考えるシンポジウムでした。翌日つまり震災当日は、その続きで気象庁の警報や予測システムの具体的な検討会があって霞が関にいました」
仙台には約20時間かけてどうにか戻ってきて、着いたのは夜中。「福島から宮城に入ったとたん道路の街灯が全部消えていたんです。もちろん住宅の明かりもなかったです。それでほんとうに大きな災害が起きたんだと肌で感じました。被災地での実態をはっきり見たのは翌日でした」
大学に寄り、自宅に帰って、ようやく家族の安否を確認。次の日は地元のFM局で今でも続いている防災の啓発番組に出演して第一声で何が起きたかを伝え、その後、県庁や東北地方整備局に出向いて情報収集。「午後は東京のテレビ局の報道ヘリコプターで空から被災地を確認するため、仙台沿岸から陸前高田まで北上しました」
津波の専門家として以前から沿岸地帯には調査で何回も足を運んでいたが、仙台市荒浜あたりでも、知っている景色が大きく変わっているのを目の当たりにした。「ここでは、住民の方々と避難訓練を実施し津波情報システムを整備していました。何か説明してください、とテレビのディレクターから依頼があったのですが、何も言葉にならなかったです。仙台港も火災が起きて、黒い煙がもうもうと上がっていました」
世界が初めて経験した災害
震災前から宮城県沖地震がいつ起きてもおかしくないと言われ、東北大学でも防災研究が行われていた。「しかし今回の震災は、規模としても複合的な姿から見ても、私たちが考えていた宮城県沖地震ではありませんでした」研究のあり方から、あらためて問い直すために、約1年を経て災害科学国際研究所( IRIDeS )が設立された。東北大学としては70年ぶりの研究所新設だった。
「災害科学というテーマを世界最先端の研究として進化させなければいけないということと、加えて国際連携・協力が必要とされていました。それまで地震・津波はそれぞれの常襲地域である各国で経験はあるのですが、原子力発電所事故も含めて、これだけ広域で複合的な災害というのは人類が初めて経験したと言えます。ですからそれをきちんと世界に発信しなければいけないという思いでした」
震災翌年に開設された東北大学災害科学国際研究所。2014年4月、今村教授が第2代所長となる
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学際研究というスタイルを実践
研究所の特徴は、異分野領域の研究者が一堂に結集したこと。まず津波・地震・地滑りなど、いわゆる自然現象としての科学の専門分野。それから工学分野だけではなく、地域や人間社会の対応が必要だろうということで地学・心理学・情報学・経済学・法学・歴史学などの分野。さらには被災者一人ひとりの命を救うということで災害医学の分野からも研究者が集まった。「災害科学にかかわるひとつの研究所で、3つの分野が融合して学際研究というスタイルを実践的に実行したのは、当時としては世界で唯一でした」
従来、地球温暖化、食料・資源の枯渇、生物多様性の保護など顕在化していた社会問題に、2011年以降は新たに「災害」という社会課題が加わり、その解決策としての学際研究が注目されることに。そのきっかけとなったのが、この研究所だった。
研究の中で見えてきたこと
新たに始まった災害科学国際研究所としての研究は、研究の対象や方向性、研究のスタイル自体が大きく変化したという。
「津波とは、海水が海域から陸上に入ってきて、さまざまなものを破壊していくのが基本的な姿ですが、今回はそれとは違う姿も見えてきました。いわば黒い津波です。土砂を巻き上げる、さらに言うと漂流物・船舶・車・建物のガレキ、これらが一気に内陸に運ばれてきました。われわれが知っている水という実態ではないんですね。いろいろなものが混じった、色が黒い混相流(土砂が混じった流体)ということです。それにより津波肺や呼吸困難で亡くなった方もいます。その実態を解明し、そこから被害を軽減するためにはどうしたらいいのか、という研究を始めました」
古文書を調べたり、歴史の専門家と連携して過去の地震津波を探る、という研究は以前から行われていたものの、震災以降「過去の災害」の捉え方にも変化が見られた。「今回の震災はいわば千年に1回と言われている低頻度ですので、江戸時代まで探るというようなとらえ方では足りないのです。地質学的・堆積学的な研究も加わって、千年以上、数万年に1回のような低頻度のものも研究するという考え方に変わってきています」
もう1つは、「情報」がいかに大切か、あらためて確認されたこと。「当時ももちろん津波警報は出ていましたし、多くは避難行動を取れていたのですが、それでも大きな犠牲を出してしまいました。避難途中で、また避難場所で犠牲になった方もいます。本当に命を救う行動につながる情報とは何か、また逆に言うと、私たちはどういう情報を得て危険だと認知をし、正しく迅速で安全な行動がとれるかという、私たち自身の研究を始めています」
いろいろな実態調査やフィールドワーク的な研究手法も多彩になった。「たとえば、生存した方へのヒアリングもさせていただきました。どういう状況で避難できたのか、できるだけ詳しくお聞きしました。警察の方々や法医学の方たちが検死をされて、どういう状態でお亡くなりになったのか、その記録からは、本当に生死を分けた瞬間がどこにあったのか、溺死だけではない、さまざまな要因もあったということを調べることができました。また携帯電話などの情報からビッグデータ分析することで、今まで可視化できなかった避難状況も一部ですが見ることができました。今後の津波対策を考えるうえで、課題があるとすればそれはどんなことで、どのように解決していけるのかということを、いまも追求しています」
今村教授による被災地調査、ヒアリング調査の様子 |
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