想いつながる座談会

ふるさとに集い、
様々な思いを共有できる場を残していきたい。
HOPE FOR project
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Profile(左から)

「HOPE FOR project」運営メンバー

阿部 義和 さん

「HOPE FOR project」運営メンバー

木村 伸太郎 さん

「HOPE FOR project」運営メンバー

川村 敬太 さん

「HOPE FOR project」代表

髙山 智行 さん

津波により甚大な被害を受け、現在は震災遺構となった荒浜小学校を拠点として、例年3月11日にイベントを展開している「HOPE FOR project」。風船を空に飛ばして大切な人に願いを届けたり、アーティストによる演奏を通じて被災地に思いを馳せたり、3月11日を思い思いに過ごせるプロジェクトだ。代表の髙山さんを始め、運営メンバーは「3月11日を過ごせる数少ない場を、大切に残していきたい」と、イベントの企画・運営に力を注いでいる。

幼なじみの友人同士で立ち上げた「HOPE FOR project」

HOPE FOR project立ち上げの経緯をお教えいただけますでしょうか。

髙山 震災当時、仙台市沿岸部にある自宅で被災しました。私の身近にも津波で家族が犠牲になった人がいたんです。身近な人の悲しみを目の当たりにする中で、亡くなった方々を偲び、震災前の荒浜に思いを馳せる機会を作りたいと思い、「HOPE FOR project」を立ち上げました。

阿部 最初は幼なじみの友人の間で活動してましたね。

髙山 当初の運営メンバーは10人くらいだったかな。荒浜小学校や七郷小学校の卒業生が中心となって活動していました。イベントの企画は私が行い、運営は他の人にも手伝ってもらえるよう、友人に声を掛けていました。

木村 最初は仕事が忙しくて、なかなか手伝えませんでした。イベントは震災の翌年から始めました。

髙山 2012年3月11日に初めて、荒浜小学校で花の種を入れた風船を空に飛ばし、そのとき多くの方の参加があり大変驚きましたね。

川村 最初は大勢の人を巻き込んで、という意図はなくて、同級生同士でやれればと考えてました。

髙山 でも当日は手を合わせる人がいたり、亡くなった人に静かに別れを告げる人がいて、こういう機会は多くの人にとって必要なものだと思うようになりました。風船が上がった瞬間、灰色のようにも見えるまちの中に、明るい景色が広がって、場の雰囲気が変わるのを感じました。あの時の光景が忘れられなくて、この場所で続けていきたいと思いましたね。

川村 私は当時大阪で働いていたのですが、震災を機に地元への思いが強まり、仙台に帰ってきました。運営メンバーになったのは、2013年ころかな。

髙山 地元を離れた友人も多いですが、このような場があれば、みんな戻ってきてくれるんです。たとえ年に1回だとしても、同級生と再会できるのはとてもうれしく思います。

木村 3月11日、地元に戻って大切な人と話したり、ふるさとに思いを馳せたり、思い思いに過ごせるのはありがたいですね。このような貴重な機会は今後も大切に残していきたいです。

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風船リリースの様子。毎年多くの人が祈りや願いを込めて風船を空に飛ばす

様々な人の協力を得て、プロジェクトを継続

阿部 プロジェクトの運営には、地域の人も関わってくれるようになりました。

髙山 仕事が忙しかったり、家庭を持っていて思うように時間が取れなかったりして、プロジェクトに参加できない人が増えていきました。そこでメンバーは自然に変わっていき、地域の人には3〜4年目くらいから手伝ってもらいました。

川村 プロジェクトには、市内の学生の方々も協力してくれました。

木村 当時の学生が社会人になった今も協力してくれています。

髙山 震災当時荒浜小に通っていた方々も協力してくれるようになりました。イベントに足を運んでくれる人と話をするうちに関係性が深まってきて、少しずつ手伝ってもらえるようになったこともあります。

阿部 たくさんの人の協力を得て、今まで続けることができたよね。

髙山 そうだね。支援してくれる人には感謝の気持ちでいっぱいです。イベントに必要な備品を寄付してくれることもあるので、非常に助かっています。例えば、スタッフへ風船作りをレクチャーしてくださる方々は開催当初から手伝ってくれていて、風船リリースに使う花の種は、「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」の花壇を手入れしてくれるボランティアの方が送ってくれるんです。様々な人とのつながりを感じますね。

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「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」の職員として働きながら、「HOPE FOR project」の企画・運営も行う髙山さん

新たなイベントの企画と、周囲からの手厚いサポート

木村 2014年からは、在りし日の小学校にもあった『音楽』の時間を作れればと、音楽イベントを始めました。

髙山 イベントに参加してくれたアーティストの中には、荒浜小学校卒業生の方もいます。市内や関東から、このプロジェクトに思いを寄せて参加してくれています。色々なジャンルのアーティストに、コラボレーションしてもらいバンドとして1つの音楽を作り上げてほしいと、思い返せば無茶を言いましたが、快く賛同してくれました。

阿部 こういうイベントをする経験は今まで無かったので、最初は戸惑ったよね。

髙山 色々と大変だったね。初年度は荒浜小学校の校庭で行いましたが、その日はすごく寒かったので、パフォーマンスするにも万全な状態とは言えなかったですね。後で振り返って反省することばかりでしたが、演者の皆さんは嫌な顔一つせず、「来年ももちろん」と前向きな言葉をかけてくれたのは、救われたし、励みになりました。

川村 その翌年から荒浜小学校の校舎が使えるようになり、屋内で音楽演奏をするようになりました。

髙山 演者の皆さんも、自分たちが音楽家として3月11日をどう過ごすかの選択肢の一つとして、この場を選んでくれているように思います。

木村 参加する人にとっても、演者の皆さんにとっても、特別な場になればと思い、準備をしています。

髙山 音楽イベントを新たに始めるのも大変でしたが、活動資金のやりくりには本当に苦労しました。運営のために2014年までは得られていた助成金が、2015年からは助成金の対象外になったんです。

阿部 その後は地域の人に募金を呼びかけたりね。

髙山 全く集まらなくて、自費で運営することもありました。活動を続けること自体が大変でした。相談をしていた「みやぎ連携復興センター」から、沿岸部で復興活動に取り組む団体への支援を考えていたTOTO株式会社さんを2015年に紹介してもらい、活動内容を説明し賛同を得られたことで何とか活動を継続できました。支援が得られたときは本当にありがたかったですね。

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荒浜小学校で行なったアーティストによる演奏。あたたかな音楽が会場を包み込む