想いつながる座談会

日常と非常時との垣根をなくすために。
「災害食」を通して、すべての人にもっと防災意識を高めてもらいたい。
宮城学院女子大学食品栄養学科の学生サークル
「Food and Smile!」
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Profile(左から)

大学院健康栄養学研究科健康栄養学専攻2年

佐々木 優花 さん

食品栄養学科3年

三浦 絵里香 さん

食品栄養学科3年

菅原 このみ さん

食品栄養学科

丹野 久美子 准教授

食品栄養学科3年

佐藤 遥奈 さん

食品栄養学科3年

鈴木 莉佳 さん

食品栄養学科3年

門馬 奈美 さん

食品栄養学科3年

結城 美羽 さん

私たちが経験したこと。それは普段できていないことは、災害時にもできないということ。
身近な「食」を通して、防災・災害のことを考える機会を地域の中で提供する活動を行うユニークな団体がある。
通称「FAS(ファス)」と呼ばれる宮城学院女子大学食品栄養学科の学生サークル「Food and Smile!」。
メンバーのほとんどが東日本大震災を経験しており、その経験を踏まえ、避難所や家庭にある食材で作る衛生面・栄養面にも配慮した災害食レシピを考案している。今後「災害食」を通して防災活動の可能性をどのように広げられるか、未来に向けてその想いを語りあった。

食育のボランティアから災害食のサークル活動へ

食を通して防災を知ってもらおうというFASの取り組みですが、どのような経緯・どのような想いで始まったのでしょうか?

丹野 2013年に宮城学院に赴任してきて、その年に食品栄養学科の学生の皆さんとスポーツ栄養を学ぶ自主活動グループを始めたのですが、その時の学生の皆さんは皆教員免許の取得を目指しており、実際に子どもたちに指導したいという想いがあったのですね。それで食を通して子どもたちに直接指導を行う新たなボランティア活動のサークルが立ち上がったのです。それがFASの始まりです。

鈴木 最初は子どもたちに食の学びを届けるボランティア活動だったんですね。知らなかったです。

丹野 ただ、なかなか地域での受け入れが難しかったですね。そのような状況の中で地域とのつながりを持ち、子どもたちの学びの場づくりを行っている一般社団法人コミュニティ・4・チルドレン(C4C)さんとの出会いがあって、子どもたちを中心として災害食を伝える活動が始まりました。

佐々木 私は大学を卒業し、現在は大学院にいますが、当時は私の3つ上の学年の先輩たちだけで活動していました。C4Cさんが地域の社会福祉協議会と連携していたので、そのつながりで例えば角田市や柴田町で子どもでも作ることのできる災害食メニューや、楽しみながら災害時の食について考えるゲームをつくったりという取り組みをしていたと聞いています。

佐藤 すでに地域に根差した取り組みをしていたのですね。

丹野 はい、地域の方々と一緒に災害食を考えるという魅力的な活動を始めていました。エフエム仙台さんからは「サバ・メシ防災ハンドブック」に掲載する災害食レシピを提供してほしいと言われたこともありましたし。すごく好評だったのですが、一学年の学生だけの活動だったので、卒業して、活動の継続が難しくなりました。ここまで地域とのつながりを持てるようになってきているのにもったいないと考え、スポーツ栄養のサークルの学生さんたちに「災害食に興味ある人いませんか」と声がけをしたのです。そうしたら、当時2年生だった佐々木さんが「私が引き継ぎたいです」と手を挙げてくれたんですね。そこから災害食を中心とした新体制のFASが始まったんです。

佐々木 まったくゼロからのスタートでした。私自身、被災はしていたけれど、災害食はよく分からなかったんです。「団体の運営ってどうやっていくんだ」「地域の方々とどう関わりを持てばいいのか」と不安な毎日。そこでC4Cの方にアドバイスをいただくことに。災害食に関する知識や心構えは、C4Cの皆さんから教えていただきました。

丹野 現体制になって最初に行った活動が、角田市金津児童館で行った親子防災料理教室でしたね。

佐々木 そうです。試行錯誤しながらでしたが、親子で参加した方々に、いざという時に役立つ調理技術に加えて、食品の備蓄方法や災害時の栄養管理などについても伝えることができました。これを機に宮城県内外で定期的に地域防災料理教室を展開していくことになったのです。

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食を通じて人々を笑顔にすることを目的に始めたFASの活動は、地域の人々と一緒に災害食を考える取り組みに発展していく
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現体制FASで一番最初に行った活動である角田市金津児童館での親子防災料理教室

災害時の栄養士の役割を改めて見直すきっかけ

菅原 栄養学を学んでいることで、すんなり「災害食」に入れたんでしょうか?

佐々木 それが実際には、「普段とは異なる調理」という視点が必要だったので苦労しました。実際の被災地では、電子レンジは使えないし、調理環境が変わってしまう。災害食のレシピを考える試作の段階で、「どういう調理環境か?」など細かい部分まで意識しないとダメだと気づきました。

鈴木 ライフラインが寸断された災害時には、普段と同じように調理を行うことは困難ですよね。

佐々木 備蓄食品に頼ることも多くなりますが、備蓄食品は味が単調なものが多く、栄養も偏ってしまいがちです。これらも意識して、災害時にも美味しく食べられるレシピを考えようと試作に取り組みました。

結城 震災当時にはすでに「災害食」という考え方はあったのですか?

丹野 この地域は1978年の宮城県沖地震を経験して、それ以来同じ規模の地震がくると言われていたので、災害時の非常食という発想はあるにはあったと思います。ただ、実際の被災地で使える災害食という発想は広がっていなかったですね。東日本大震災当時、学生から「栄養士ってこういう震災の時には役に立たないですよね」って言われてすごくショックでした。確かに栄養士の知識があっても「食材がない」「調理道具がない」ではどうしようもない。被災地を回る時、ビタミン剤を持たされたのが、とても寂しかったのを覚えています。

門馬 被災地では食事で栄養をまかなえない。栄養士としてこんなにむなしいことはないですね。

丹野 そんな中でFASの活動を見ていて、うーん、若い人って発想が柔軟だなと。ビニール袋だけで調理するとか牛乳パックをまな板がわりにするとか、私自身もすごく刺激されました。食材や環境が整った場所がないと調理できないと思っていたものが「そうじゃないんだ」とFASの学生の皆さんに教えられた感じでしたね。

佐々木 そう言われるとうれしいです(笑)

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災害食では、栄養学の知識だけでなく、調理の視点が必要になる