仙台白百合学園高等学校の特別進学コースでは、教科学習の他に探究活動も行っている。その一環として始まったのが防災の取り組みだ。これまでに外国人や高校生向けの防災・減災パンフレット、防災・減災を呼びかける絵本を作成し、社会の高い評価に結び付いていった。多くの反響が寄せられている絵本を作り上げた生徒の皆さんと、成長を見守る先生に、今までの活動や未来に向けた思いを聞いた。
仙台白百合学園高等学校における、これまでの防災の取り組み
国際的に活躍できる未来のグローバルリーダーを育成するために文部科学省が開始したプロジェクト「SGH(スーパーグローバルハイスクール)」。仙台白百合学園高校は2015年から「SGH」の指定校となり、その特性を生かした活動を行っています。活動の一環として、皆さんは防災に力を入れていますが、これまでの取り組みをお教えいただけますでしょうか。
鉢呂 仙台白百合学園高校がSGHに指定されてから、特別進学コースでは探究活動を行っています。ここにいる生徒の皆さんはSGH4回生となりますが、生徒は防災、医療、難民への教育支援など様々な探究テーマを見つけ、班ごとに活動を展開しています。
富澤 SGHの1回生から防災班がありましたよね。
鉢呂 そうですね。1回生は「災害時における外国人への支援体制」をテーマに活動を展開していました。メンバーは4人で、そのうち2人の親御さんは看護師や歯科医師など、医療に携わっていました。東日本大震災が起こった時、被災者の応急処置のために休みなく働いていたそうです。
齋藤 私の親も看護師です。身近に災害時の大変さを知る人がいると、防災への意識が高まりますよね。
鉢呂 皆さんと同じように先輩たちも興味深く取り組んでいるようでしたよ。初めに行ったのは、被災状況を把握するためのデータ収集です。調査を進めるうちに、外国人の多くが犠牲になっていることや、外国人の支援体制が不十分であることを知りました。そこで、東北大学災害科学国際研究所の今村文彦所長や佐々木宏之准教授などに協力を求め、アドバイスをもらいながら、災害時の外国人向け防災・減災パンフレットの制作を行いました。
小木田 パンフレットはどのようにして知られ、活用されるようになったのでしょうか。
鉢呂 彼女たちは、様々な団体が防災の取組を発表する「仙台防災未来フォーラム」に参加し、展示や発表などを通じて自分たちの活動を発信しました。次第に、新聞、ラジオ、テレビなどのメディアに取り上げられる機会も増え、パンフレットの認知度が高まっていきました。そして全国から問い合わせがくるようになり、各地の公共施設やホテルなどに配られるようになったんです。
土屋 最初は英語版を開発していましたよね。
鉢呂 はい。次第に中国語版の需要も高まってきたので、その制作も行いました。北海道胆振東部地震が発生した2018年には、実際に札幌市の各施設からたくさんの感謝の声が寄せられました。その時点で1回生の生徒はすでに卒業しており、成果を伝えられなかったのが残念ですが、彼女たちの取り組みはきちんと後輩たちに受け継がれていきます。SGHの3回生は「震災による被災者の支援」をテーマに活動を行ない、高校生に視点を向けた日本語版のパンフレットを開発しました。
富澤 そして私たち4回生の絵本作りに至るんですね。
SGHの1回生の時から、防災班の探究活動を見守ってきたという鉢呂先生
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これまでに開発されてきた防災・減災のパンフレット、絵本
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被災経験を踏まえて、震災の教訓を伝えていきたいと思った
富澤 4回生である私たちは震災当時、小学2年生でした。地震が起きた時は、皆さんどのような状況でしたか?
齋藤 私は仙台白百合学園高校の近くにある小学校に通っていました。集団下校の途中で激しい揺れに襲われて、恐怖から泣き出す子もいました。みんなで集まって、お互いに慰めたり、励まし合ったりしながら揺れに耐えていました。
富澤 私も近所の小学校に通っており、帰りの会の途中でした。揺れがなかなか収まらず、ただただ怖かったのを覚えています。
土屋 本当に怖かったですよね。震災時は、仙台白百合学園小学校に通っており、スクールバスで下校している途中でした。道路は渋滞していて、普通は1時間で家に着くところ、2時間以上もかかりました。バスの中で、今日は家に帰れないかもと思っていました。
鉢呂 私は仙台白百合学園高校にいました。沿岸部から通う生徒は津波の被害で家に帰れなかったので、学校の寮で1週間くらい仮暮らしをしていました。
小木田 大変でしたね。私は名取市に住んでいて、私の家は大丈夫でしたが、場所によっては津波に飲み込まれ、兄の友人も犠牲になるなど、被害が大きかったです。なので、震災時の経験や教訓を未来に伝えていかなければならないという使命感を感じました。
富澤 約10年前のことですが、震災の恐怖は忘れられないですよね。このことは後世に伝えていかなければならないと思います。
震災を振り返る座談会メンバー。改めて震災の教訓を伝えていかなければならないと実感する
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幅広い世代に震災の教訓を伝えるため、防災を意識した絵本作りへ
富澤 現在、私たちは防災班として活動していますが、以前は医療班でした。私は将来、看護師になりたいと思っており、もともとみんなも医療に関心を持っていたからです。
小木田 親が医療に関わっていたこともあり、私も自然と関心を持っていました。初めはみんなで応急処置について調べていましたよね。
富澤 はい。色々調べていくうちにDMAT(災害派遣医療チーム)を知ったんです。そこで医療と災害は密接に関わっていることを知りました。
鉢呂 1回生が外国人向けのパンフレットを作ったとき、東北大学災害科学国際研究所の今村所長や佐々木准教授にお世話になったので、災害について勉強するなら、先生たちに連絡とってみるといいんじゃない?と彼女たちにアドバイスしたんです。
土屋 鉢呂先生のアドバイスの下、私たちは東北大学の先生たちから助けをもらいました。佐々木助教授からは、人命救助のタイムリミット「72時間の壁」について説明を受けました。とても詳しく教えてもらい、災害に興味をもったので、調べようと思ったんです。
齋藤 たしか、1年生の3月に行く台湾研修の直前にテーマを防災に変えましたよね。
富澤 そうでしたね。私たちは台中に行って、地震のことを調べてきました。
鉢呂 台湾の大学に進学したうちの卒業生が日本語、中国語で通訳を行い、皆さんが行きたいところに案内してくれましたね。
土屋 先輩たちには本当にお世話になりました。現地では地震のこともですが、震災時に起こりうるPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの精神疾患についても開南大学の教授から学ぶことができました。非常用持ち出し袋は日本と少し違っていたので、資料をもらい勉強したりもしましたね。
鉢呂 地震について色々調べていって、どうして絵本を作ろうと思ったんですか?
富澤 先輩たちがパンフレットを作ってきたので、初めは私たちもそうしようかなと思っていました。でも同じようなものを作っても、進展がないなと思って、考え直したんです。
小木田 先輩たちのパンフレットでは、外国人向けにしても、高校生向けにしても大人が対象になっているような気がしていたんです。子どもにも防災を学んでもらいたかったので、絵本はどうかというアイデアが生まれました。
土屋 絵本は読み聞かせができますし、絵本を通して親子で防災について話し合える機会が作れればいいなと思いました。私は震災を経験して、地域の避難場所や家族との連絡手段などをもっと親と話し合っていれば良かったと身に染みて感じたので、絵本作りには前向きでした。
小木田 親が万一パニックに陥ってしまって大変な時も、子どもが防災の知識を身に着けていれば、その家族は助かるかもしれないですよね。家族みんなが防災を念頭に置いて生活できるようになれば、災害時、スムーズに行動できるのではないかと思います。
富澤 そうですよね。家族みんなで災害に備えることは本当に大切だと思います。そもそも小さい子どもたちは震災を知らないと思うので、教訓として後世に伝えていくためにも絵本は役に立つのではないかと考えています。
鉢呂 絵本作りは皆さんの柔軟な発想から生まれたんでしたね。大人にはない視点で物事を考えていて、高校生ならではの成果物ではないかと思います。私は生徒たちの自由な発想を活かすためにも、あまりアドバイスはしないように意識しているんです。そうすることで生徒たちはより主体的に探究するようになります。もちろん失敗したり、もめごともたくさん生まれてきますが、努力して困難を乗り越えようとすることに意味があり、必ず成長につながっていくと思うんです。生徒の探究活動は、社会と大きく関わっているので、学校の中での学びがすべてではないと理解できる取り組みだと思います。
鉢呂先生は生徒の自主的な学びを大切にしているという
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